27日は総会の後で現在日本に留学中の元奨学生でJICA事業でスタッフとして活躍したジョセリン・コヤゴとの交流がありました。
ジョセリンは今の自分があるのは、まず母のおかげですとお母さんとの写真を示しながら話しました。お父さんも兄弟もいないため、母一人子一人の生活で母娘のつながりには強いものがありました。けれども、農業を学びたいと国の奨学金を得てホンジュラスに留学し、母娘は離れて生活をするようになりました。厳しいホンジュラスでの大学生活を経て農業技師となって帰国。その後JICA事業の現地スタッフとなってサネの活動に参加することになりました。この時の学びもベースとなってアジア学院への留学を考えるようになったのでした。
彼女がサネの奨学生だった頃の文通相手(マドリーナ)は雛形さんという女性でした。雛形さんは手紙の交換を通していつもジョセリンのことを思いやり、彼女の成長を願ってきました。彼女が自分の好きな道を歩めるように、そしてその中で少しでも社会貢献ができる仕事に就けるようにと手紙の中で語りかけてきました。一方で彼女がお母さんから精神的に自立していけるようにということも常に願っていました。卒業後も間隔は開いたものの手紙交換は続き、雛形さんは常に彼女の成長を見守っていました。そしてとうとうこの日二人は直接会うことができたのです。
*私(杉田)は偶然にもこの二人の手紙交換を、翻訳者としてやり取りの全てを見守ってくることができました。サネの翻訳ボランティアは表に出ることはない黒子でありながらもこうした人生の立会人になれるのです。幸せなことです。
アジア学院での学びについても彼女は語りました。3年間のJICAの事業を通して、一つのことを成し遂げるのは一人の力ではなく、みんなの協力が大事なんだと学んだこと。だからこそアジア学院で学びたいと思うようになったことーアジア学院は何よりもチームワークを大事にし、一人一人が農村で活躍するためのリーダーシップを育てることを目標としていますー、4月からの日々の研修(朝起きてから夜寝るまでの全ての生活が研修なのです)ですでに多くのことを学んだそうです。彼女の顔は生き生きと輝いていました。将来はエクアドルに帰って地域の発展のためにいろいろなことに挑戦していきたいと夢を抱いています。
写真は雛形さんとジョセリン。中央は当日通訳を務めてくださった受田理事です。
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