今日はさわやかな気持ちの良いお天気のもと、飯能市南高麗で開催されたお散歩マーケットに参加しました。ここはSANE会員の木崎さんのお宅があるところで、集落の中には車が行けない家もあります。それぞれのお宅の軒先でお店が開かれ、季節の野菜や果物、手作りの品々を中心に色々なものが販売されます。近隣からはもちろん、東京など遠くからもたくさんの方が訪れ、山歩きを楽しみながら買い物を楽しむというのがこのイベントです。地域の皆さんの努力で楽しい一日になっています。
木崎さんが2011年にエクアドルを訪れたことをきっかけに、エクアドルとのつながりが生まれ、SANEもエクアドルのオーガニックコーヒーやチョコレート、民芸品などを軒先で売らせていただくようになりました。地域の持続可能な発展というコンセプトが一致するのです。お散歩マーケットに訪れる方々は、自然保護に関心のある方が多く、フェアトレード品やオーガニック食品を買ってくださいます。そして多くの方々と交流できる良い機会となっています。
今日は、6月22日のコンサートの宣伝にも力を入れましたが、『えっ?森口博子が来るの?飯能に?すごい!』と関心を持って下さる方もたくさんおられました。また、『ペッカリーって?』という声に、Youtubeの歌声を聴いていただくと、その美しい歌声にみなさんびっくり。コンサートへの関心は高まっています。ぜひ、皆さんもお聴きください。
ペッカリーのテーマソングは、おいら土偶のペッカリーです。
https://www.youtube.com/watch?v=uoJZP-osMsA
そしてその歌唱力を存分に示すのは、あの、アナと雪の女王のLet it goを歌う歌声です。
https://www.youtube.com/watch?v=Gk3uoyi3_v8
2014年5月4日日曜日
2014年4月25日金曜日
エクアドルの今とSANEとSOJAEの役割 ーゲストをお迎えしてー
SANEは1989年に設立され、今年で25周年を迎えました。
この間、エクアドルでは不安定な政治やインフレなどによって人々の生活は困難を極めてきました。2007年にコレア大統領が選出されてから7年間、現在は安定した政権運営が継続していますが、このブログでも書いてきたとおり、地域の人々の暮らしは厳しいものがあります。
こうした中で、SANEは飯能市を始め全国の市民の協力によって、キト(都会の周辺部)とカヤンベ(農村地域)で、奨学生支援を継続してきました。また、カヤンべでは山間部の村の学校を中心として、学校菜園事業(子ども達に伝統農業の技術と手づくり給食を提供)と技術教育事業(生活を豊かにする手仕事の技術と就職への道を提供)を行ってきました。けれども今私たちSANEの活動は経済的に危機を迎え、継続そのものが危うくなっています。
今、市民の意志によるこうした活動はエクアドル社会の中でどのような意味、あるいは価値があるのでしょうか?エクアドルという、日本ではあまり知られていない地域での活動について改めて考えてみたいと思います。今回は日頃よりSANEに協力下さっている、エクアドルや中南米の社会や教育、開発協力に詳しい専門家にコメントを頂きながら、SANEの今後の方向性を探ってみたいと思います。SANEならではの実践と学問の世界の出合いの場です。この機会を活かして、会場の皆さんからの気軽なご意見、ご質問もお聞かせいただければと願っています。お忙しい中ですが、どうぞご参加ください。
なお、25日午後はSANEの総会が予定されています。会員の方はもちろんですが、関心のある方はこちらにもご参加ください。
日時:5月25日(日) 10時30分~12時30分
場所:飯能市市民活動センター(JR八高線、西武池袋線東飯能駅隣 まるひろ7階)
報告者:杉田優子(SANE代表理事)3月の出張での現地の様子を中心に話します。
進行・コメンテーター:受田宏之(SANE理事 東京大学準教授)
コメンテーター:宮地隆廣(東京外国語大学準教授)
※SANE総会は13:30より行われます。
主 催:NPO法人 エクアドルの子どものための友人の会(SANE)
問い合わせ先:SANE事務局
2014年4月21日月曜日
子どもたちのところに学校が帰ってきた! 4月15日に再開
保護者を中心とするカヤンベの住民の皆さんの交渉によって、3月の出張時にはからだった教室(右の写真)に、 子どもたちが戻ってきました(下の写真)。
ブログでご紹介したとおり、アンチョラの学校が突然廃校になってしまいました。49人の子どもたちにとって5km以上離れた他の学校に行くのは大変なことで、学校に行けない子たちも出ていました。
子どもの権利が守られたと、みんなが喜んでいます。この間、ずっと再開のために人々に働きかけていた、スタッフのヘルマンから喜びの写真が届きました。
ブログでご紹介したとおり、アンチョラの学校が突然廃校になってしまいました。49人の子どもたちにとって5km以上離れた他の学校に行くのは大変なことで、学校に行けない子たちも出ていました。
子どもの権利が守られたと、みんなが喜んでいます。この間、ずっと再開のために人々に働きかけていた、スタッフのヘルマンから喜びの写真が届きました。
2014年4月14日月曜日
閉校になっていた学校の再開が決まりました!
アンチョラ村の学校が再開されるというニュースが今朝届きました!
3月の出張報告でカヤンベのいくつかの村の学校が閉校になってしまって学校に行けない子どもたちがでてしまっているということを書きました(3月9日のブログをご参照ください)。この時アンチョラ村のことも少し触れていますが、私がここを訪れた時、閉校になって子どもたちがいなくなった学校はひっそりとしていました。右の写真が全景です。

この学校はSANEが長い間支援してきた学校でした。山の上の不便なところにありますが、良心的で前向きな校長先生のもとで、学校菜園を行い、おいしい給食を出していました。2011年に訪問した時は校長先生が元気いっぱいに他の先生方と仕事をされていました。ところが、2012年に訪れた時は困った顔をされていて、なにがあったのかと伺ってみると、突然他の先生方がいなくなってしまい、自分ひとりで全校を見ざるを得なくなってしまった。何が起きているのか理解できないとおっしゃるのです。私たちにも事態がわかりませんでした。2013年は訪問できなかったのですが、今年3月の訪問時には閉校になってしまっていたのです。今から考えると、2012年の出来事は新教育法によって教師の定員が決まり、他の先生方はこの学校にいられなくなってしまったのかもしれません。写真は2012年に子どもたちに熱心に指導されていた校長先生です。
左の写真は、大きな校舎が見えますが、外国組織の支援で作られた立派だけれど暗い教室です。その横に育っているのが私たちの支援で植えられたここの原産のヤワルという木です。標高が高く寒いため育ち方はゆっくりですが、防風林として寒さを和らげ、保水力があるので水の供給にも役立ってきました。その左側は子どもたちが元気に働いていた畑です。


左の写真は2011年の時のもので、右が今年のものです。SOJAEスタッフのヘルマンはこどもたちのいなくなった校舎や畑を見ながら長年の苦労が泡となってしまったと悔しそうでした。
ところが、そのヘルマンから学校が再開されるというニュースが届いたのです。3月の出張の時の訪問で、廃校になった地域の子どもたちの深刻な状況が明らかになりましたが、ヘルマンは昨年の秋ごろからすでに事態の重さを知り、保護者やカヤンベ市民にきちんとこの状況を政府に訴えて解決を図るよう働きかけていました。人々は教育省の役人に来てもらい、何度も会を開いています。その結果、いったん閉校になった学校の再開が決まったようです。
これは二重の意味でとてもうれしいことでした。子どもの学校へのアクセスが保障されることと、人々が声をあげることで政府を動かすことができるという可能性を示したということです。SANEは今年度の方針に、子どもの権利を守る、子ども、地域の人々のエンパワメント(自己を尊重し、成長させ、周囲とつながり、社会を変革する力をつける)を課題として取り組んでいくことを取り上げようとしています。希望のある年にしていきたいと決意を新たにしています。
写真はアンチョラの風景。後ろにチラッと写っているのはカヤンベ山。標高の高い村です。
3月の出張報告でカヤンベのいくつかの村の学校が閉校になってしまって学校に行けない子どもたちがでてしまっているということを書きました(3月9日のブログをご参照ください)。この時アンチョラ村のことも少し触れていますが、私がここを訪れた時、閉校になって子どもたちがいなくなった学校はひっそりとしていました。右の写真が全景です。
左の写真は、大きな校舎が見えますが、外国組織の支援で作られた立派だけれど暗い教室です。その横に育っているのが私たちの支援で植えられたここの原産のヤワルという木です。標高が高く寒いため育ち方はゆっくりですが、防風林として寒さを和らげ、保水力があるので水の供給にも役立ってきました。その左側は子どもたちが元気に働いていた畑です。
左の写真は2011年の時のもので、右が今年のものです。SOJAEスタッフのヘルマンはこどもたちのいなくなった校舎や畑を見ながら長年の苦労が泡となってしまったと悔しそうでした。
ところが、そのヘルマンから学校が再開されるというニュースが届いたのです。3月の出張の時の訪問で、廃校になった地域の子どもたちの深刻な状況が明らかになりましたが、ヘルマンは昨年の秋ごろからすでに事態の重さを知り、保護者やカヤンベ市民にきちんとこの状況を政府に訴えて解決を図るよう働きかけていました。人々は教育省の役人に来てもらい、何度も会を開いています。その結果、いったん閉校になった学校の再開が決まったようです。
これは二重の意味でとてもうれしいことでした。子どもの学校へのアクセスが保障されることと、人々が声をあげることで政府を動かすことができるという可能性を示したということです。SANEは今年度の方針に、子どもの権利を守る、子ども、地域の人々のエンパワメント(自己を尊重し、成長させ、周囲とつながり、社会を変革する力をつける)を課題として取り組んでいくことを取り上げようとしています。希望のある年にしていきたいと決意を新たにしています。
写真はアンチョラの風景。後ろにチラッと写っているのはカヤンベ山。標高の高い村です。
2014年4月5日土曜日
古代エクアドル生まれのゆるキャラ、ペッカリーくんが飯能に
ペッカリーをご存知でしょうか。岡山県備前市にある、BIZEN中南米美術館所属で、異色の国おこし&町おこしのキャラクター。約3千年前にエクアドルで栄えたチョレーラ文化の動物象形土偶をモデルとして2012年に誕生しました。南米産ヘソイノシシです。このペッカリーの生みの親である、美術館長の森下さんがSANEの事務所に来られたのが昨年のことでした。在エクアドル日本大使館の小瀧大使がSANEを紹介してくださったとのことでした。それからおつきあいが始まり、来る6月22日にはなんと飯能市民会館大ホールでタレントの森口博子さんとSANE応援のためのチャリティーライブを開催することになりました!というのも、ペッカリーは歌が上手なことで知られる、全国的に活躍するゆるキャラで、森口さんとは仲良しなんだそうです。
昨日SANE代表の杉田がこのBIZEN中南米美術館に行ってきました。たいへん立派な美術館で、中南米の歴史と文化が詰まっています。そして館内をゆるキャラ君たちが案内してくれますよ。6月のコンサートではたくさんのゆるキャラ達も応援出演してくださるとか。ドミニカ共和国のドン・タイノ、コロンビアの金早板子、エルサルバドルのププーサ、そして日本各地のご当地ゆるキャラも。
これまでのSANEのコンサートとは全く趣向の違うコンサートです。みなさん、ぜひおでかけください!

エクアドルの子どもたちの学びを支える
SANE25周年記念
森口博子×ペッカリー チャリティライブ
2014年6月22日(日)
埼玉県飯能市市民会館大ホール
開場14:30 開演15:00
料金 4000円(全席指定)4月5日からチケット発売開始
窓口 チケットぴあ、Pコード:228-898 tel 570-02-9999
ローソンチケット Lコード:75633 tel 0570-084-003
e+ http://eplus.jp
CN@プレイガイド tel 570-08-9999
お問い合わせ
BIZEN中南米美術館 0120-346-287(月~金11時~17時)
info@latinamerica.jp
主催 SANE25周年記念ライブ実行委員会
協力 JAM dance company
2014年3月25日火曜日
サンパブロウルコを訪ねて ー弱体化する地域の教育力
サンパブロウルコは、カヤンベの山岳地域オルメド教区にある村です。道は良くなったものの、カヤンベ中心地からバスで1時間ほどオルメドまで行き、そこから歩いて山道を登ったところにあります。ここは先住民の割合の高い村で、独自の文化を持っています。女性たちの服装も多くが民族衣装です。
この村は人々の結束が強く、住民のの努力で長年かけて1年生(日本で言えば保育園年長組)から10年生(中学3年生)までの学年をそろえた学校を作ってきました。現在子どもの数は127人です。ここで働く先生も、地域の人を雇うように働きかけてきました。その結果、昨年までは教師の数も13人で、充実した教育を行っていました。SANE/SOJAEはこの学校の施設支援、学校菜園、技術教育などの事業を長年行い、人々の努力の後押しをしています。
ところが今年になって、新しい教育法とそれに伴う規則が施行され、教師の数が全校の生徒数で決まるようになりました。その結果子どもの数は減っていないのに今年度は教師の数が8人に減少。2学年を1人の教師が持つことになってしまいました。来年はさらに6人に減ることが決まっています。ちなみに、日本では2つの学年の子どもの合計が16人以下(1年生を含む場合は1年生だけで8人)になると複式学級になるというのが標準とされており、都道府県で最終的に決定することになっています。
前回にも報告したとおり、教師は正採用と臨時採用の二つの雇用形態になっており、臨時採用の教師はいつ首になるかわかりません。また、以前は保護者が必要とする場合、保護者の出資で講師を雇うことができたのですが、今は禁止されています。
さらに、政府は幼児教育制度も大きく変えました。以前はINFAという半官半民の形で機能していた機関が福祉と乳幼児保育を担当していました。しかし政府はINFAを閉鎖し、乳幼児保育も中央の省の直轄にしました。その結果、0歳から3歳未満と3歳以上就学までとが異なる省の担当になり、3歳以上は教育省担当で学校の中に吸収される形になりました。そして、3歳未満児はその地域で定数に達しない場合は保育園は設置されません。サンパブロウルコでは、3歳未満児が定数に達していなかったため、保育施設が閉鎖され結局家庭に任される形に。共働きの家庭ではこれが大変な問題になっています。一方でそれまで機能していた保育園は建物だけを残して今では使われずに放置されているのです。
サンパブロウルコの学校で幼児組を持っている先生は、自分自身も1歳半の子どもを持っています。彼女は自分の子どもも含めて困っている3歳未満の子どもを同じ部屋で預っています。子どもたちの登校時刻は午前8時。学校が終わるのは午後2時です。この間、政府から保証されている食事はシリアルバーとコラーダという甘い飲み物だけ。しかも3歳未満には何もありません。子どもたちはお腹をすかせて泣くこともあると言います。
この話を聞いた杉田はすぐにヘルマンと話し合い、問題の対処に学校や保護者が取り組むよう働きかけました。急激な変化と、教員の組織が切り崩される中で、サンパブロウルコのような結束の強かった地域でさえ問題に十分対処できていないのです。ヘルマンはすぐに保護者が毎月5ドルずつ出して子どもたちに食事のできる体制を作ることを提案。SOJAEも毎月5ドル出して協力すると約束をしました。学校でミンガ(協働作業)を行っていたお母さんたちはその場で承諾しました。今後の動きが注目されます。
すでに出張報告でお伝えしたとおり、サンパブロウルコから1時間ほど行ったところにペシージョという村があり、ここではミレニオ学校が建設中です。政府の方針は周りの学校を閉鎖してこの学校に統合するというもの。けれども、遠い子の場合2時間以上通学にかかってしまいます。サンパブロウルコの保護者たちはこの村の学校を閉鎖しないように陳情に行きました。けれども上記のように年々厳しくなっている状況ではいつ閉鎖になってしまうかわかりません。保護者の代表のお母さんたちはこう言いました。
『まるで昔に戻ってしまったようだ。昔、学校がここにできる前には、一部の人だけがペシージョの学校に通うことができた。その後みんなで努力してこの学校を作ってきたのに…』
SANEは『学校菜園を通じた食の安全保障』という事業を行ってきましたが、今改めて学校と保育をめぐる、子どもたちの教育の保障とと食の安全保障について緊急に取り組む必要を感じました。ヘルマンはさっそくカヤンベ市民に呼び掛けて、現状調査と子どもの権利保障のための行動を開始すると言っています。
この村は人々の結束が強く、住民のの努力で長年かけて1年生(日本で言えば保育園年長組)から10年生(中学3年生)までの学年をそろえた学校を作ってきました。現在子どもの数は127人です。ここで働く先生も、地域の人を雇うように働きかけてきました。その結果、昨年までは教師の数も13人で、充実した教育を行っていました。SANE/SOJAEはこの学校の施設支援、学校菜園、技術教育などの事業を長年行い、人々の努力の後押しをしています。
ところが今年になって、新しい教育法とそれに伴う規則が施行され、教師の数が全校の生徒数で決まるようになりました。その結果子どもの数は減っていないのに今年度は教師の数が8人に減少。2学年を1人の教師が持つことになってしまいました。来年はさらに6人に減ることが決まっています。ちなみに、日本では2つの学年の子どもの合計が16人以下(1年生を含む場合は1年生だけで8人)になると複式学級になるというのが標準とされており、都道府県で最終的に決定することになっています。
前回にも報告したとおり、教師は正採用と臨時採用の二つの雇用形態になっており、臨時採用の教師はいつ首になるかわかりません。また、以前は保護者が必要とする場合、保護者の出資で講師を雇うことができたのですが、今は禁止されています。
さらに、政府は幼児教育制度も大きく変えました。以前はINFAという半官半民の形で機能していた機関が福祉と乳幼児保育を担当していました。しかし政府はINFAを閉鎖し、乳幼児保育も中央の省の直轄にしました。その結果、0歳から3歳未満と3歳以上就学までとが異なる省の担当になり、3歳以上は教育省担当で学校の中に吸収される形になりました。そして、3歳未満児はその地域で定数に達しない場合は保育園は設置されません。サンパブロウルコでは、3歳未満児が定数に達していなかったため、保育施設が閉鎖され結局家庭に任される形に。共働きの家庭ではこれが大変な問題になっています。一方でそれまで機能していた保育園は建物だけを残して今では使われずに放置されているのです。
この話を聞いた杉田はすぐにヘルマンと話し合い、問題の対処に学校や保護者が取り組むよう働きかけました。急激な変化と、教員の組織が切り崩される中で、サンパブロウルコのような結束の強かった地域でさえ問題に十分対処できていないのです。ヘルマンはすぐに保護者が毎月5ドルずつ出して子どもたちに食事のできる体制を作ることを提案。SOJAEも毎月5ドル出して協力すると約束をしました。学校でミンガ(協働作業)を行っていたお母さんたちはその場で承諾しました。今後の動きが注目されます。
すでに出張報告でお伝えしたとおり、サンパブロウルコから1時間ほど行ったところにペシージョという村があり、ここではミレニオ学校が建設中です。政府の方針は周りの学校を閉鎖してこの学校に統合するというもの。けれども、遠い子の場合2時間以上通学にかかってしまいます。サンパブロウルコの保護者たちはこの村の学校を閉鎖しないように陳情に行きました。けれども上記のように年々厳しくなっている状況ではいつ閉鎖になってしまうかわかりません。保護者の代表のお母さんたちはこう言いました。
『まるで昔に戻ってしまったようだ。昔、学校がここにできる前には、一部の人だけがペシージョの学校に通うことができた。その後みんなで努力してこの学校を作ってきたのに…』
SANEは『学校菜園を通じた食の安全保障』という事業を行ってきましたが、今改めて学校と保育をめぐる、子どもたちの教育の保障とと食の安全保障について緊急に取り組む必要を感じました。ヘルマンはさっそくカヤンベ市民に呼び掛けて、現状調査と子どもの権利保障のための行動を開始すると言っています。
2014年3月23日日曜日
コタカチ、イマンタグのミレニオ学校へ
3月17日にコタカチ市中心地から7kmほど離れた村イマンタグにあるミレニオ学校に行ってきました。ここは2011年に開設された学校です。周辺には先生が1人の小さな小学校があったのですが、それが統合され今は幼児から高校生まで750人の生徒を抱える学校となり、コタカチ市からも生徒が来ています。
政府は無料のスクールバスを出すと言っていますが、まだ実現されてはおらず、子どもたちは徒歩か普通のバス(有料)に乗って登校しています。校舎はとても立派で、中では先生方が1人1台のパソコンを見ながら会議をしていました。突然の訪問だったにもかかわらず、副校長先生が丁寧に対応して下さいました。
小さな学校からミレニオ学校になって、良い教育が受けられるようになったと副校長先生は語ります。ここでは47人の先生が仕事をしています。ところが、良く聞いてみると採用試験を経て正式雇用されている教師はなんと4人だけ。後は準備過程の教員だということでした。この教員は地方ではどこの学校でもいるのですが、いわゆる臨時採用、あるいは1年雇用の先生方です。不安定な上に給与も低い、あまり良くない条件で仕事をしています。このような大きな学校でそういう状況とは驚くばかりでした。まだ発展過程にあるので、とは副校長先生の言葉ですが、開校から3年以上たっています。制度改革の急激さと比較して、中身の改革の遅さが懸念されます。
教室の椅子は現代的なデザインですがなんだか窮屈そう。生徒はいなかったので意見は聞けませんでしたが。
この学校には立派な食堂がありますが、倉庫は空っぽでした。政府からの朝食(シリアルバーとコラーダという甘い飲み物)が届くのを待っているとのこと。子どもたちはどうしているのかと見ると、それぞれ家から食べるものを持ってきたり、バール(食べ物を売っているお店ーたいていの学校にはあります。barといっても日本のバーとは違いますね)で買ったりしています。
政府は制服も無料支給していると言いますが、実際は予算が決まっていて、特に女の子の制服をそれでカバーすることはできません。家庭では制服にかかる費用も必要になります。そのせいか、ここでは右の写真のとおり、下に民族衣装を着ています(これはオタバロの衣装です)。民族衣装はここの人々にとっては自分の出自を表す大切なもの。これが制服にとって代わるということは、文化を失うことにつながりかねません。今は民族衣装より制服を好む傾向も出てきているそうです。でも、ここではこうして民族衣装が制服と共に生きていました。
食堂で働いている女性に話を聞くと、この地域にはまだまだひどい貧困があるとのこと。家で食事を満足に食べられない子どもたち、両親を失って子どもたちだけで生きているというケースもあると言います。政府からのシリアルバーだけでは子どもたちは飢えてしまいます。食堂で働くのは二人ですが、彼女たちが生徒に呼びかけてそれぞれの家から食材を持ってきてもらい、週に1回は持って来られない子どもも含めてみんなに食事を提供するよう努力しているそうです。
大切なのは容れものではなくて、人だと痛感した訪問でした。この学校には菜園にできる土地がありました。ヘルマンはここの750人の子どもたちのために、学校菜園を始めたいと意欲を持って語ります。今回多くの学校で、お腹をすかせている子どもたちに出会いました。地域の人々がこの事実をしっかり受け止めて解決に向けて動き出すこと、そして学校菜園事業で食事改善を図ることは重要です。次回はカヤンベの事情を報告します。
政府は無料のスクールバスを出すと言っていますが、まだ実現されてはおらず、子どもたちは徒歩か普通のバス(有料)に乗って登校しています。校舎はとても立派で、中では先生方が1人1台のパソコンを見ながら会議をしていました。突然の訪問だったにもかかわらず、副校長先生が丁寧に対応して下さいました。
教室の椅子は現代的なデザインですがなんだか窮屈そう。生徒はいなかったので意見は聞けませんでしたが。
この学校には立派な食堂がありますが、倉庫は空っぽでした。政府からの朝食(シリアルバーとコラーダという甘い飲み物)が届くのを待っているとのこと。子どもたちはどうしているのかと見ると、それぞれ家から食べるものを持ってきたり、バール(食べ物を売っているお店ーたいていの学校にはあります。barといっても日本のバーとは違いますね)で買ったりしています。
政府は制服も無料支給していると言いますが、実際は予算が決まっていて、特に女の子の制服をそれでカバーすることはできません。家庭では制服にかかる費用も必要になります。そのせいか、ここでは右の写真のとおり、下に民族衣装を着ています(これはオタバロの衣装です)。民族衣装はここの人々にとっては自分の出自を表す大切なもの。これが制服にとって代わるということは、文化を失うことにつながりかねません。今は民族衣装より制服を好む傾向も出てきているそうです。でも、ここではこうして民族衣装が制服と共に生きていました。
食堂で働いている女性に話を聞くと、この地域にはまだまだひどい貧困があるとのこと。家で食事を満足に食べられない子どもたち、両親を失って子どもたちだけで生きているというケースもあると言います。政府からのシリアルバーだけでは子どもたちは飢えてしまいます。食堂で働くのは二人ですが、彼女たちが生徒に呼びかけてそれぞれの家から食材を持ってきてもらい、週に1回は持って来られない子どもも含めてみんなに食事を提供するよう努力しているそうです。
大切なのは容れものではなくて、人だと痛感した訪問でした。この学校には菜園にできる土地がありました。ヘルマンはここの750人の子どもたちのために、学校菜園を始めたいと意欲を持って語ります。今回多くの学校で、お腹をすかせている子どもたちに出会いました。地域の人々がこの事実をしっかり受け止めて解決に向けて動き出すこと、そして学校菜園事業で食事改善を図ることは重要です。次回はカヤンベの事情を報告します。
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