2014年1月4日土曜日

ワールドミュージックを提供してきたエクアドルコンサート                     木下尊惇さんと語る

5年前に20周年を記念して編集した『SANE20周年記念誌』の一部をご紹介します。
木下さんとの座談会も、かなり長いですがどうぞお楽しみください。

SANEエクアドルコンサート20年の歩み


開催年・回

テーマ

出演者

会場

 
   8889         自由の森
 
   
    90
6月30日
3
  南米エクアドル
チャリティーコンサート
  マヤ・アイレス、自由の森学園音楽科、ロス・トレス・アミーゴス、ネフェティティ  飯能市民会館大ホール

 
    91
76
4
  LA MUSICA
LA FIESTA 同時開催
  ネプチューン海山、マヤ
舞鼓、チャカ・トゥンバ
  飯能市民会館大ホール

 
   92
712
5
  えくあどる ちゃりてぃ こ  
 んさーと
  ロス・トレス・アミーゴス
  エイサー・サバド
  飯能市民会 
 館大ホール

 
   93
74
6
  太陽と人生の物語
 LA RAZA
  マヤ、ロス・トレス・アミーゴス、ラス・ニンジャス、村田三郎   飯能市民会館大ホール

 
   94
612
7

 大地 LA TIERRA
  ラ・パルティーダ、
 シサイ
  飯能市民会 
 館大ホール

杉田
   95
  618
   8

 GAMBATEANDS
  インティ、ピガピガ、
  ウィンニャイ
  飯能市民会 
 館大ホール

杉田
   96
630
9
  エクアドル子どもたちのコ
 ンサート
  日出克、シサイ   飯能市民会
 館大ホール

杉田
   97
  524
  10
  風にのって 
  EL VIENT
  テゥパク・アマル、ルイス・リ 
 オス、打木進太郎、
  シサイ
  飯能市民会
 館小ホール

杉田
   97
  921
  11

QUITOからの便り

本谷美加子(オカリナ)

飯能市民会館小ホール

佐々木
  98
  52
  12

GOSPEL CELEBRATION

ザ・チョウズン・ワンズ、ビバ・ムシカ

飯能市民会館大ホール

パブロ
  マローネ
   99
  529
  13回
 
  ロス・ソリスタス(木下尊惇、
 菱本幸二、ロス・トレス・アミ
 ーゴス、マヤ)
 飯能市民会
 館大ホール
  
   亀山
   00
   72
   14

再会 REENCUENTRO
  ロス・ソリスタス、高橋昌宏、 
 打木進太郎小林智詠、小松邦彦、東京大学民族音楽愛好会、日本女子大学フォルクローレ愛好会
  飯能1丁目・2丁目囃子保存会、ペペ・アルメイダ

飯能市民会館大ホール

亀山
   01
   715
   15回

15SANEエクアドル・コンサート  
  ロス・トレス・アミーゴス、シサイ、岡田浩安、西元寺哲史、ホセ・アルメイダ
飯能市民会館大ホール

東城
  02
  623
  16

16SANEエクアドル・コンサート

シサイ

飯能市民会館大ホール

東城
03622
  17
  17SANEコンサート
 
NORA y  su ORQUESTRA

飯能市民会館大ホール

東城
   04
   74
   18
  18SANEエクアドル・ 
 コンサート「世界は日の出
 を待っている」

薗田憲一とデキシーキングス

飯能市民会館大ホール

東城
  05
  626
  19

19SANEエクアドル・コンサート

シサイ

飯能市民会館大ホール

栗原
    06年
 924
  20
 
20SANEエクアドル・
   コンサート
 
NORA y  su ORQUESTA
 
飯能市民会
大ホール
   
  東城
   07
  715
  21
 21SANEエクアドル・コンサート「Encuentros/出逢い」
木下尊惇フォルクローレユニット

飯能市民会館小ホール

佐々木
   08
  1012
   1
  エクアドルふれあいコンサート実行委員会主催「アンデスのほほえみ」

木下尊惇 & 上松美香

飯能市民会館小ホール

東城
   10
   42
   2
  エクアドルふれあいコン 
 サート実行委員会主催 
 「EL PASO・歩み」

カチート寺沢、岡田浩安、
  ペペ・アルメイダ

飯能市民会館小ホール

東城
 
SANEのコンサートの歩みと私たちの思い ―木下尊惇・東城康夫・杉田優子

SANEコンサートはSANEにとって、とても大切なイベントになっています。
度々、心よく出演くださっている木下尊惇さんを囲んで、コンサート主催責任者の東城康夫理事、代表理事の杉田優子が本音を吐露しながら木下さんのコンサートに対する「こだわり」「優しい眼差し」に迫ってみました。
   木下尊惇さん・・・・日本を代表するフォルクローレ演奏家。SANEのコンサートには何度も出演。難しいペペとの共演も何度もお願いしている。
   東城康夫理事・・フルート職人を生業とする。自らの音楽的こだわりを大切にしたコンサート作りで独自の質の高いコンサートを実現してきた。現地事業の責任者としても活躍。
   杉田優子代表理事・・SANEコンサートが現地音楽グループの出演で行っていた頃の実行委員長を務める。たくさんの問題を抱えて奔走した。現在代表理事。
司会:櫨本稲子・・飯能市で一市民として様々な活動をしている。SANEの良き友人。今回は、一
                         観客としてわからないことを質問する形で進める。 

司会: 本日はお忙しい中、皆様にお集まりいただきましてありがとうございます。
     SANEのコンサートの歩みと私たちの思い」ということで、ここにいらっしゃるお三方に自己紹
    介を兼ねて、一言ずつおっしゃっていただきたいと思います。まずは杉田さんからお願いします。

杉田: 杉田です。私の場合はとにかくSANEとの最初のかかわりがコンサートでしたね。佐々木玲子さんが、今回20周年記念誌に書いてくれたのを読んで知ったのですが、私が最初に何を言ったかというと「皆さんにお礼状を出しましょう」だったらしいです。それまで、SANEはそういうことは全然していないし、来る人が来ればいい・・みたいなコンサートでした。「それでは好くないのではないか」と言ったのが私だったらしいです。だから、コンサートの実行委員長なども何回かやらせてもらったように思います。で、コンサートが終わると、私は荒れに荒れていました。「こんなこと、もーっ、絶対やりたくない!」という感じでしたね。でも、よくある話ですね。大きいコンサートをやって疲れ果てて「もう~やめよう!」。だけど、このコンサートは毎年やることになりましたね。

司会: 何回になったのですか。

東城: 23回目です。市民会館を借りては2回目が「ノラさん」が来てくれた時が20回だったんです。その後、木下さん、シサイ、木下さん・・来年で24回です。
小さいコンサートを入れたら、僕が関係してから平均年2回やっています。

杉田: そうですよねぇ・・。毎年、市民会館のあの1000人のホールを・・。何年か前に「こんなの信じられない!」って言われたんですよ。何が信じられないって、コンサートをやって、資金を作って、エクアドルを助けましょう、事業をやりましょう、ということ・・が、です。コンサートをやらなきゃ事業ができないということです。「そうことを誰が決めたんですか!恐ろしいことを決めましたね」って言われて、「ホントだよねぇ・・」という感じがしましたね。私が初めてコンサートに行ったのは91年くらいだったと思います。

東城: 大ホールを使ったのは21回目のシサイまでした。その後、木下さんにお願いした22回目、そこから小ホールに変えました。それがまだ続いている・・。

司会: ちょうどその転換期に当たったと思われる木下さん、お願いします。

木下: はい、ペペと知り合ったのが、パンフレットなどからみると98年くらいですね。小さなコンサートも含めて、いくつかやらせていただきました。ペペとは長いですが、密な付き合いではなく、突然連絡がある・・というような付き合いです。

個人的いえば、ただ単にぺぺを友達として付き合うのであれば、多分、今までつきあっていなかったと思うんです。ご承知のとおり、ペペはマイペースなので、振り回されるんです。でも、いつも思うのはペペの「志」ですよね。いろいろなところに迷惑を撒き散らしながらも、やっている目的は、なかなか真似の出来ることではないです。将来、未来に向けて絶対必要なこと《教育》だと思います。彼の始めた「志」がこれだけの大きな輪になったことに対して、僕自身学ぶことが多いし、僕に出来ることがあれば、ペペとケンカしてでもやろう!と・・(笑い)。そういう気持ちは未だに揺らいでいないですね。

杉田: いろいろ思い出しますね。

木下: 僕は向こう(ボリビア)に長く住んでいたので、エクアドル人はボリビア人と違うとはいえ、向こうの人達の考え方も分かるし、向こうの音楽業界、どういう人達がどういう風にして音楽に携わっているのか、ある程度わかるので、ペペのスタンス(立場)で音楽をどう思っているのか、それをどういう風にしたいのか、間違っていること、誤解しているところもわかる。ぺぺのいうエクアドルを紹介したい、それによってエクアドルの人を助けたい・・という良い部分と矛盾点もある程度わかる。だから、コンサートを作っていく段階で口論にまではならないにしても、彼の意見をそのまま受け入れる訳にはいかない。今まで、割と厳しくズバズバとぺぺに言って来ましたね。

杉田: ペペさんは木下さんをすごく信頼していましたよね。ですから、コンサートをするなら木下さんとやりたい・・といつも言っていました。

木下: そうですか。意見の相違はあるにしても、やっぱりコンサートは楽しいですね。

杉田: 木下さんご自身も、この10年変わられましたね。

木下: はい、すごく変わりましたよ。

杉田: そうですね。最初のころは、「芸術家」という感じでピリッとしていて恐かったです。今は随分丸くなりましたね。

木下: そうですね。音楽はこうあるべきだ!という思いが強かったですね。自分はボリビア、アンデスの音楽を背負っているつもりだったので、絶対に正しく日本に知らしめたい!間違いは行かん!と思っていたんです。もうひとつは、音楽に上流、中流、下流があるとすれば、上流に引き上げることが音楽にとっていいことだと思っていましたから、それに全力を傾けていました。

     その後、年齢的なものも含めて、いろいろな経緯、経験を経て、特に最近では音楽の本来の姿は、無名性にあると・・。高い低いなど人間界のことです。しいて言うならば文化、文化と人の関係、文化ってなんだろう、音楽ってなんだろう・・。先ほど、オフレコで話したのですが、僕が農業をはじめたのも、興味ということもありますが、音楽家として体験してみたい・・そういうことを体験していくと、音楽ももっと柔軟な方向へ、皆がそれぞれ勝手に携わりながら、形を変えながら浮遊している状態がいいのではないか・・ということを、最近すごく思うようになりましたね。なんだか取りとめもない表現になりましたが・・。

東城: 木下さんの歌を聞かせていただいて、最近、特に感じるのですが、ラテン音楽ってなんだろうと思うんです。垣根を取り払って、人々の暮らしとか生活に生きるとか、そういうものを歌で表現する。そういうことに「ラテン」を感じます。ちょっと話しは逸れますが、そういう音楽を幅広く柔軟に表現できるとしたら、大ホールは無理なのです。大ホールはインパクトがないと人を呼べないし集まらないからです。その点、小ホールですと、そういう音楽が好きな人集まるのです。そして、僕はコンサートを作る楽しみがまた増えたという訳です。いろいろな可能性が広がってきましたから。

     コンサートがちゃんと成立するし、いろいろなジャンルのコンサートも出来ます。

杉田: 大ホールでやっていた時は、音楽的なことは別として、SANEを知らせなくちゃいけない!資金を作らなくちゃいけない!ということがメインでした。
        それはSANEの組織的な面でみれば、それはそれで意味があったことかなぁ・・とは思います
        小ホールだとそれほど苦労しなくても出来ちゃう・・。だけど、その分「広がり」ということを考える
        とどうだろうか・・と思うこともあります。

東城: それはありますね。特に、飯能周辺の方々は、SANEは毎年大ホールでコンサートをしていた・・という印象が強いでしょうね。ただ、収益性でみるならば、さほど変わりませんね。チラシなど支出も大きかったですから。
         それがなくなり、経費がかからなくなりました。

木下: 当初、コンサートをやらせていただく時、ミーティングで集客人数の話が出ました。その時、大ホールは1102名収容できるのに、どなたかが「がんばって500名集めよう」と言ったので、僕は「異議申し立て」をしたのを覚えていらっしゃいますか。

杉田: はい、非常によ~く覚えています。

木下: コンサートをやるからには、大ホールを使うからには、目標はあくまでも満席にしていただきたい!最初から目標を半分に設定するのはいかがなものかと・・申し上げたことがあるのですが・・。
         もうひとつ、その時に申し上げたことは、ただ単にお客さんを呼ぶのであれば、有名人を連れ
        てきて、確か、「落語でもお笑いでも」と言った記憶があるのですが・・それで収益を得て、エク
        アドルにお金を送る考えはありますか?と聞いたら、西脇さんから「そういう気持ちは全くありま
        せん!」とお答えいただきました。それが、自分のできることはできる限りさせていただこう・・と
        思った大きな理由です。

東城: そうですね。収益性のみ追求すると、つい、そういった考えに行ってしまいますね。
     お客さんを集めるにはどうしたらいいか・・ばかり考えてしまいます。

司会: 音楽を聴いてもらうのか収益性をあげたいのか、その狭間で葛藤がありますね。
     SANEの人、コンサートを作る人、出演してくださる人、三者三様のお話が聞けてとても興味深
        いです。
        大ホール、小ホール、それぞれのコンサートにまつわる苦労話はありますか。

東城: 大ホールでの苦労は、①出演者を選ぶ、②チケットを売る・・。本当にチケットを売るのは大変な苦労です。(一同、深いため息)

木下: コンサートで何が大変かって、チケットを売ることなのですよ。チケットをうまく売ることが出来れば、なんだって出来るんです。どんな小さなコンサートでもチケットを売ることが一番の苦労です。ですから、自主コンサートをしている音楽家と、していない音楽家では、その苦労を知らない・・ということに尽きます。(一同、大きくうなずく)僕のような無名な音楽家のコンサートには、お客様に丁寧に頭を下げないと来ていただけないのです。でも、大手の場合は、新聞広告やTVとタイアップしてお客様を集めるわけです。

東城: 私がまだ責任者じゃなく実行委員だった時に木下さんがおっしゃったことは「私は演奏に責任を持ちます。あなた達はチケット売ることに責任を持ってください」ということです。

杉田: そうです。その時の話は、私もよ~く覚えています。で、肩にズシーンときました。

司会: 先ほどの話ですが、500枚売ればいいというのは責任を持っていないと言うことですね。気合が足りないと言うことですか。

木下: はい、当時の僕のような血の気の多い者に言わせたら・・。(爆笑)

杉田: ありがたいことにそうおっしゃってくださる出演者は珍しいですね。(爆笑)出演者ってギャラをもらえればいい・・が普通なのですけど、そこまでおっしゃる木下さんはすごい!(爆笑)
     あの時のコンサートは、今もう一度やったら、もっといいじゃないかと思うんです。
     子どもたち、お祭り保存の会の人たちが出て、飯能市民と一緒に何かをするという姿勢があり
         ました。

木下: 僕もそう思いました。ですから、ミーティングでSANEの活動は飯能市で知られていますか?とお聞きしたと思います。残念ながら知る人はあまりいないので、お客様はわざわざ遠いところから来てくださることが多い、とのことでした。もっと、飯能でSANEの活動を知ってもらえるよう、お祭囃子の人達と競演することにしました。そして、子どもたちのためのコンサートなので飯能の子どもたちにも参加してもらえれば、子どもたちやその親達にも知ってもらえるわけです。

杉田: そうでしたね。でも、あまり大成功とは言えませんでした。コンサート自体はよかったのですが、出演してくれた人達の理解があまりなかったんです。それはSANE側が、きちんと説明できなかったからです。何のために、私たちがどのようなことをしているのか、このコンサートがどういうものなのか、をきちんと説明するべきだったのです。それをチャリティーコンサートだから分かるだろう、と向こうから近づいてくるのを待っていた・・という感じでしたね。

司会: そうですか。当時はチャリティに対しての環境も今とは違っていたと思います。

杉田: そうですね。時期早尚だったかもしれません。

東城: あの時は高度成長真っ只中で、チャリティだと人が集まるという側面もありましたね。そこにSANEも甘えていたと思うんです。
     それでも、結構収益性はあった・・。お客さんがいなかったのに・・。
    ペペさんが必死でチケットを売ったと思うんです。

     その時から、お客さんにお金を払ってきていただく。例え、それがチャリティだとしても、印象に残るコンサート、楽しんで帰っていただくというコンサートにするにはどうしたらいいか考えるようになりましたね。そういう意味でSANEコンサートも主催者側として、少しは質が上がったと思います。

杉田: 最初の頃は「エクアドルの子どものために」ということも言いたくないということもあったんです。ですから、それはパンフレットに小さくしか書かれていなかった。
その後、きちんと説明しよう・・ということになりました。ですが、バランスが大切で「チャリティだから来て」ではいけないし・・。
     東城さんとSANEコンサートは赤い糸で結ばれていると思いますよ。ここに東城さんが居ること事態が奇跡だと思っているんです。音楽にしっかりと視点を持った人がコンサートを担当しているので、SANEコンサートはここまで続いているんだと思います。

東城: 私は理事でもあるのですが、どちらかというとコンサートの方が自分の仕事だと思っています。元を正せば、現在、私は仕事でフルートを作っていますが、音楽学校に通っていたことがあります。が、才能がない自分に嫌気がさして止めました。その時にやりたかった仕事がコンサートを作ることでした。根っから、コンサート作りが好きなのです。

杉田: そういう人がここにちゃんといる・・という事がすごいですよね。
     辻褄がうまくあっている・・とでもいいましょうか。
小ホールになってから楽になりましたか、何か変わりましたか。

東城: 先ほど言いましたように、選択肢が広がりました。
     それと300席を埋めるためのことだけを考えると、きつくなくなりました。
     1000席を埋めるって本当に大変なことです。そして、埋まらなかったときの落胆はとても大きいです。

杉田: 500人しか集まらないとガッカリしていたのですが、小ホールで300人集まってくれたら「やった~!」という気持ちになるくらいです。

東城: 小ホールで開催したコンサートは大ホールでの雰囲気が全然ちがいます。
     まとまり感、連帯感は小ホールの場合、とてもいい感じです。
     ほんのりと嬉しくなり、主催者冥利につきます。

司会: 演奏する方は、やはり大ホール、小ホールで何か違いはありますか。

木下: 大ホールで出来ることと小ホールで出来ること、やりたいことは違いますね。
     大ホールは舞台が広い、広いから出来ることも沢山ありますが、大掛かりにしないと2時間を持たせるのがつらい・・など。小ホールだと制約がありますが、逆に制約の中で出来ることを考える面白さもあります。大ホールだといろいろなお金がかかります。お客様をお呼びするにしても半ば強引に呼ばなくちゃいけない。それはオフレコで話した大規模農業の話ですが、売り方は正しいかもしれませんが、アメリカ的資本主義でお客様を呼んで、舞台を作り上げないと成り立ちません。エクアドルやボリビアの子どもたちは、ある意味、そういうシステムの被害者だと思います。その被害者を救済するためにそういうシステムを使ってコンサートをすることは大きな矛盾です。ですから、自分の出来る範囲内で親身に出来ることをする。それを皆で手をつなぎ、輪を広げ、無理をせず出来ることからする。その方が確実に広がると思っています。最近はそのように思うので、僕の活動は小さなコンサートを沢山やりたいと思っています。

東城: 大ホールで活動する人は確かにそういう傾向にありますね。

     SANEのコンサートは、来てくれた人と近くなって、SANEの活動を知ってもらって、楽しんで帰っていただき、輪を広げてもらう。小さなコンサートを沢山したほうが今のSANEに効果的だと思います。

杉田: なるほどね。若い理事の森田さんと、先日会いましたら、彼は「国際協力の限界を感じる」とのことで、どういう点が問題なのか聞いてみました。「国際協力することに馴れてきて、援助する人と、される人の関係が変わらないと思った」とのことです。例として、カレンダーを売ることとします。現地の状況の写真をのせ、一冊いくらと決めて売る。すると収益金はいくら・・となり、味気ないものです。SANEの活動はどうか。派手ではありませんが、毎月毎月手紙を書いて交流したり、とても効率は悪そうです。この間、あるマドリーナが手紙の内容も発展しないし、もっと困っている団体を助けたい(UNICEFや国境なき医師団など)のでSANEを退会したいという申し出がありました。ところが、奨学生とこの方の手紙の翻訳担当の方から、この方宛の奨学生からの最後の手紙を見せてもらったところ、つまらない内容どころか奨学生が初めて心を開く内容だったのとことでした。結局、その方はその後も退会せず、その子と文通を続けています。その時、こういうのがSANEなんだ!と思いました。派手なことはなく、このお金で何人の子どもが助かります・・というものでもないのですが、文通をすることによりお互いの心が少しずつ開き、信頼関係ができるという経験は、他では中々できないのではないかと・・。それがコンサートのやり方などに通じるものがあるように思います。

司会: 心のこもったものにもう一度戻したい、つながる感じを大事にする・・ということ
でしょうか。

木下: 手段というより目的でありたいと思いますよね。
     助けるとか援助するとかいうよりも、お互い死なないことだと思います。
     「集う」とか「コンサートをする」ことを目的ととらえ、その一つに収益金がある。それによって演奏家も幸せ、来てくれた人も幸せ、スタッフも幸せ。その幸せなことでエクアドルの子どもたちも幸せになると思います。

東城: 確かにそうですね。最初のころは収益金ばかり考えてやっていました。ですが、最近は僕自身、このコンサートを通してどうやって楽しむか、来てくれる人や演奏してくれる人達にどうやって気持ちよく帰っていただくか・・を考えるようになりました。これが達成できた時は、「成功だった!」と感じます。

杉田: 終わったときに「また、やろうかな」と思えることが大事ですね。
     荒れ狂うようではだめです。

木下: その気持ちわかりますよ。はっきり言って、素人があの入場料で1000人のコンサートを毎年開催すること自体、信じられないことです。

司会: 今後のコンサートの予定はどのようになっていますか。

東城: 面白い、意味のあるコンサートを続けていきたいと思います。
     テーマを設ける、何か主張するもの、そしてなんらかの形でラテンにつながるようにしたいです。SANEのコンサートに来てくれる人は、どこかでラテンにつながっている人が多いですから。そこを離れると今までの経験から失敗になることが多い。いろいろやりたいことは沢山あります。千倉でコンサートをしたり・・。

司会; 田んぼでしたり・・。

東城: 棚田などで・・パーっ!とやりたいですね。

木下: コンサートの入場料はやはり安いほうがいいですよ。
     日本は高すぎます。音楽家は、まあ、生きていければいいわけです。暴利をむさぼる職業で
    はないはずなのです。皆が満足できる入場料でどこにも無理がいかない入場料を考えると、
    やはり安いほうがお客様も来やすいし、スタッフも売りやすい。僕はそれが理想だと思ってい
    ます。

杉田: 会場など制約が多すぎますよね。何時まで退場とか・・一分でも遅れると割り増し料金が取られ、苦労しました。

木下: そういえば、アンコールの時間がなくなったのですね。
あれ?僕は今まで余裕でアンコールをやっていましたが・・?? そっか!僕が終了時間を守らなかった訳ですね。大変申し訳ありませんでした。(大爆笑)

杉田: 具体的ではないのですが、もう一度、99年にしたコンサートのようなものをしてみたいと思います。飯能市の中で飯能市の人が参加するコンサートができればいいなと・・。やろうと思ったらできるのではないでしょうか。市民活動ネットワークを立ち上げ、飯能市の中にSANEの存在が認められるようになってきているので、実質的に何かできそうな時期に来ている。

東城: そうですね。今の飯能市内でできる範囲のことを考えていけば、できると思います。

杉田: たとえば、自然保護の「てんたの会」と何か一緒にやりましょう・・と声をかければできるかな・・。あの時のコンサートに使われた「飯能の自然」のスライドととても合うような気がしますが・。

司会: バックにスライドとして流れているだけでもインパクトがありますよね。

東城: 僕が思っていたのは、木下さんや杉田さんがエクアドルやボリビアで撮ってきた写真をみせたりするのもいいかと・・。
この辺も最近は、小さなコンサートをする場所が増えてきました。
     いつも通りがてら「ここでどんなコンサートができるかなぁ」って考えるんです。

木下: 舞台に上がる演奏家もチャリティに賛同かどうかよりも、同じ方向をむいているかが大切ですね。音楽家が同じ方向を向いて一緒に音を出さないとちゃんとした音がでないんです。当初は、僕もフォルクローレの人達もあまり知りませんでしたが、今は、ジャンルも幅広く、音楽家として成り立っている人達との横のつながりが出来てきています。ですから、出来る事の幅がすごく広がっていると思います。

杉田: 演奏する人、企画する人、観客で来る人と皆がつながって、同じ方向を目指す・・すごい素敵なことですね。

東城: ほんとですね。主催する側、演奏してくれる人、特に演奏家の人達がその時だけの雇われ仕事として集めたコンサートと、皆が一緒の方向を見て集まってくれたコンサートでは全然違いますからね。そういうことは僕達にも影響してきますし、歌にも・・然りです。

木下: そうです。(一同:うんうん、とうなずく)

杉田: そういうのもSANEらしさ・・という感じがします。(全員:はい!)
     とてもいい結論が出ましたね。

東城: これからのコンサートもなんだかイメージが湧いてきました。

司会: いい気持ちになったところで、ちょうどお時間となりました。
本日はとても有意義な座談会となりました。 木下さん、皆さん、ありがとうございました。

0 件のコメント:

コメントを投稿