2012年6月3日日曜日

シサイとSANEの出会いーエクアドルの音楽と教育への思い

6月15日のエクアドルコンサートは、久しぶりにシサイが出演します。
シサイが最初に日本に来てからそろそろ20年になるでしょうか。
最初の出会いは忘れられません。

1994年6月、90年代SANEは毎年千人収容の飯能市民会館大ホールでコンサートを行っていました。
しかも出演者は外国に基盤を持つグループがほとんどで、常に危険を抱えていました。契約したグループが本国に戻ってしまってコンサートぎりぎりまで日本に戻ってこない、戻ってきたと思ったら主要メンバーが抜けてしまったなど、問題の連続を乗り越えてやっと迎える当日だったのです。
その年も、出演が決まっていたペルーのグループが成田空港で入国できず、真夜中に電話が。コンサート当日のわずか1週間前でした。すでにチケットの販売は数百枚になっていました。

この時、彗星のように私たちの前に現れたのが彼らだったのです。
わずか2,3回の打ち合わせと練習で迎えた本番は、観客に充分に満足してもらえるものでした。

このコンサートの直前、初めて飯能に来た彼らが、飯能で初めて演奏した場所、それは飯能駅南口にあるサビアの広い外階段です。メンバーの登場の後で、最後に登場したルイスの演奏を聴いて以来、私は彼のファンです(笑)。この時飯能でシサイを知っている人はいませんでした。彼らの演奏を立ち止まって聞く人はわずか。今では考えられないことですね。

シサイメンバーの故郷は、世界的に有名な先住民マーケットのあるオタバロ(カヤンベのお隣です)。ここの人々は、スペインの侵略や外の支配的な文化の侵入に上手に対応しながら、自分の文化を守ってきたという伝統があります。そして世界中に出かけて商売をするしたたかさも持っています。

しかし経済格差は激しく、貧しい人々がたくさんいるのは同じ。シサイのメンバーもこのことに心を痛め、教育を通して故郷に貢献したい気持ちを強く持っています。その気持ちから生まれたのがEFAS.Education For All Sisayという教育支援のプログラムでした。
これをお手伝いして、学校建設を実施したのがSANEです。カヤンベやオタバロにシサイ関係の寄付で建った、教室、給食室がいくつかあります。

今ではすっかり有名になって日本や韓国で活躍しているシサイ。忙しくなってSANEコンサートに出演の機会は少なくなりましたが、ようやくめぐってきたこの機会、ぜひみなさま楽しんでください。このコンサートは特別なコンサートなのです!








0 件のコメント:

コメントを投稿