サネは設立以来32年目を迎えています。この間に多くの奨学生が社会に巣立っていきました。そして、その中の何人かは現地のカウンターパートであるソハエのメンバーとして後輩のサポートをし、また、高い専門性を持って事業担当スタッフとして活躍しています。サネの支援の大きな特徴は、時間をかけて子ども達に寄り添い、人への信頼感、学ぶ姿勢を育て、やがて自分の力で社会に旅立っていくまでを見守るということ。32年の年月を経て、この支援の成果が少しずつ出てきていると感じています。この奨学生事業の支援を受けた元奨学生たちは卒業後どうしているでしょうか。『シリーズ卒業生の今』を通して、元奨学生たちがどんな支援を受けてどう生きているのかをお伝えしていきます。
ー第1回ー パトリシオ・ペレス(2004年〜2006年高1〜高3を支援)
僕は1988年に3人兄弟の長男として生まれました。キトの南部に住み、懸命に勉強をし、学校の旗手を務め(1番の生徒だけがなれる名誉ある役)ました。そして良い成績で高校に入学し、物理数学を専攻しました。奨学生となったのは、高校生になったときです。ソハエスタッフのイヴァンとセシリアが僕の質素な家に家庭訪問に来て、僕は奨学生に選ばれました。こうして新しい旅が始まったのです。新しい学び、新しい人々、そして友情、道徳的支援、勉学への支援、家族のような親密さなど奨学生を力づける感動的な支援に出会うことができたのです。クリスマスカードでは多くの人々の署名入りの素晴らしいメッセージが届きました。特にパドリーノ(文通相手)の東城さんことは忘れられません。
高校を卒業した僕は中央大学の準備課程に入りましたが、半分が落とされるという厳しい課程で賄賂もはびこっており、これを乗り切って上に進むことはできませんでした。お金もなかったので化粧品を売るアルバイトを始めました。そして1年後に働きながら勉強の道に戻ることを決意し、専門校で経営の勉強をしました。それでも何か足りないものを感じ、中央大学に戻って、目標であった数学と物理の教師になる道を進むことにしたのです。午前中は大学へ、夜は専門校で経営の勉強を続けました。こうして2011年にはトップの成績で経営学課程を終えました。大学も続いていましたが、経済的に大変で教師として教える仕事を始めました。この教師としての仕事を通して、自分にもっと知識が必要だと痛感しました。仕事と勉学との両立は大変で、落第が続きました。たくさんの出会い、挑戦、挫折を繰り返しました。それでも僕は諦めませんでした。かつて高校時代にものを売りながら、あるいは掃除夫として、あらゆることをして働きながらここまできた辛い思い出は私を励ましました。忍耐力が自分の強みだったと思います。
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