2016年12月21日水曜日

エクアドル、カヤンベから飯能の子どもたちに手紙が!

今年の夏、子どもエコクラブ飯能の小学生対象のイベントでエクアドルのお話をさせて頂きました。この時参加した子どもたちがエクアドルの子どもたちに向けて手紙を書いたのですが、昨日アンデスの小学校の子どもたちからその返事が戻ってきました。

飯能の子どもたちは、日本の食べ物や飯能のこと、自分の学校のことなどを紹介しましたが、 これに応えてエクアドルの子どもたちも自分の住んでいる地域や、エクアドルのこと、学校の様子などを書いてくれて、様子が分かる楽しい内容です。写真や絵も豊富にあって、時間をかけて作ってくれたことが伺えます。

子どもたちに渡すのが楽しみです。
日本とエクアドルの子どもたちの交流は何か希望を感じさせてくれます。

2016年12月7日水曜日

12月のイベント

埼玉県飯能市周辺にお住まいの方にお知らせです。

みん活ウィンターフェスタ Hello! World!
12月10日(土)10時半~16時 飯能市市民活動センター
国際交流のイベントです。世界の食べ物、衣類、文化などを紹介します。
SANEもふやふやの協力でエクアドルを紹介します。
エクアドルの森のコーヒー、おいしいチョコレートも好評販売中で、売り切れ間近かです。
暖かいアルパカ製品も特別販売です。

また、エクアドルの教育の向上のためにご寄付くださった方には、エクアドルからやってきた素敵なプレゼントを用意!

アンデスクイズに挑戦して楽しんでください。




私の地域活動    飯能で、飯能から世界へ
   12月17日(土)18時~19時半


私の飯能学講座で杉田優子が話します。
会場:飯能アッさらしー学園
主催:飯能まちなかを元気にする会


クリスマスカードの交換

 SANE奨学生部会は、一人一人の奨学生に心を込めて手作りのカードを作成し、たくさんのメンバーや友人が署名し、エクアドルに送りました。写真はそのカードです。窓からサンタさんがのぞいていますね!


中の飾りはとって部屋に飾ることもできます。
封筒も一つ一つ手描きの絵と宛名が。これは奨学生担当の諸星さんとそのお母様の手作りの品。
それにたくさんのメンバーが署名します。遠くの人には郵送して署名してもらうことも。そうやってたくさんの人が応援していることを伝えます。
エクアドルで子どもたちの家に飾ってもらえることでしょう。


一方で奨学生たちも毎月文通している日本のパドリーノ・マドリーナ宛に手作りカードを送ってきてくれます。
こちらも力作ぞろい。今年もこんなカードが届きました。

エクアドルのクリスマスは家族で過ごす大切な時です。
私たちの奨学生は、貧しい子どもや両親のそろっていない子が多いのですが、子どもたちが安心できて楽しめるクリスマスが送れますようにと祈る気持ちです。
SOJAEでもクリスマスのイベントを奨学生たちと行います。

Feliz Navidad!

2016年11月30日水曜日

SANEエクアドルふれあいコンサート2017

エクアドル教育支援のためのチャリティコンサートを開催します。

◆SANE・エクアドル・ふれあいコンサート2017◆
木下 尊惇 フォルクローレコンサート〜飯能からエクアドルへ〜
ゲスト出演 mirei
SANE活動報告 杉田 優子 

日 時:2017年2月19日(日) OPEN14:00  START 14:30
入場料:大人2,500円 
場 所:ぽかぽかキャリア・アカデミー講堂 (飯能市双柳1269-3 )
主 催:エクアドル・ふれあいコンサート実行委員会

【予約・連絡先】
Tel・Fax 042-978-5353( 日高市 ガレリア デ カフェ・ リモン 稲浦)


チラシダウンロード  

2016年8月16日火曜日

SANE・エクアドルふれあいコンサート

エクアドル教育支援のための 2016年SANE・エクアドルふれあいコンサート

日時:2016年9月24日(土)OPEN17:30 START 18:00
コンサート会場:にこにこハウス
〒357-0037飯能市稲荷町14番地10グリーンパレス飯能


音楽:Mirei&ソウマヒカリ
SANE活動報告:杉田優子

 コンサート当日はSANEの活動報告として、今年3月の大雨と洪水による、ピサンビージャ校調理室の流失と再建の状況、教育支援活動の継続についてお話します。
 会場となるにこにこハウスでのコンサートは2回目ですが、にこにこハウスはSANE団体会員として登録し、キトの奨学生との文通を始めました。文通によって、福祉の事業所でも国際的な視点をもって連帯をふかめることができると考えています。それは、現地の奨学生と日本の支援者(パドリーノス、マドリーノス)という個人と個人のつながりを超えて、にこにこハウスという家族と奨学生の家族という大きな支援の輪につながる可能性を秘めているからです。文通を始めてまだ半年ですが、にこにこハウスのひとりひとりに夢と思いやりの心が育って来ているように思われます。
 エクアドルふれあいコンサートに、ぜひ参加してください。


予約・連絡先(042)978-9222(鈴木) 


 チラシ(表)PDF
チラシ(裏)PDF

2016年7月12日火曜日

世界のみんなと手をつなぐ店ふやふや         飯能夏まつりに出店!

 世界のみんなと手をつなぐ店ふやふやの出店のお知らせです。
夏はふやふやが出店することはあまりなかったのですが、今回は飯能市銀座通り商店街の双木建築事務所オープンサイトの店先をお借りして、お店を出すことになりました。ここはご存じ人々のおしゃれな出会いのスポットです。
7月16日(土) 午後3時より午後7時過ぎまで
7月17日(日)正午より夕刻まで
当日は、SANEの鈴木満さん、佐藤亘さん、木崎詳子さん、ふやふやのお菓子を作ってくださっているワイルドヒヤシンスの武藤さんがお店に立ってくださいます。満さんは環境保護に詳しく、亘さんは地球と世界のことをよく知っている方、詳子さんはムーミンやフィンランドスタイルのカフェで話題の飯能市の観光協会で大活躍されている観光スペシャリストです。お話をしにお出かけください。
オープンサイトを貸してくださっている双木(なみき)さんは若き建築士さん。飯能の名産品である西川材を使った素晴らしいおうちを設計し、全国的にも注目されています。自由が丘のカフェも。雑誌でも何誌か紹介されました。これからおうちを建てたいとか、改築・リホームしたいなと思われている方、この機会に双木さんに会いに行かれてはいかがでしょうか。 コーヒーの試飲もできますので、ぜひ遊びにお出かけください。
 
また、お宅に眠っている商品がありましたらお届けください。ソハエの資金になります!この写真はキトで行われた7月9日の大バザールの様子です。
 
 ぬいぐるみも人気です。
 
 
 
 
 
 
 
 
生活必需品もよく売れます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
商店のみなさまなどからも商品の寄付が。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
浴衣を着て奨学生たちがお迎えしています。日本文化の紹介に一役かっています。
 
 
 

2016年7月7日木曜日

エクアドル大地震への寄付をありがとうございました


4月16日の大地震に際しましては、多くの方々からご寄付をいただきありがとうございました。合計で14万2337円となり、全額をエクアドルに送金いたしました。
このお金は、SOJAEの法的な代表である内田さんの娘さんの協力で、菅原トミさんを通じて今回の震源地である、ペデルナレスの近くにある、カマロネスにある小学校の子どもたちに学用品として6月18日に届けられました。


小学校の名前は 「セレスティーノ・バカ」小学校です。
この学校の児童数は、約70名いました。被災した小学生が学校再開にあたって必要な学用品のリストをまとめてもらい、これを菅原さんが直接届けてくださいました。

届けていただいたものは、子供達一人一人に渡す、リュックサックのセット (えんぴつ3本、ボールペン3種、消しゴム、えんぴつ削り、筆入れ、定規、のり、はさみ、ノート3冊、色粘土、色鉛筆のセット、ぬりえ絵本)、そして先生方に、画用紙、ぬりえ絵本、余ったえんぴつ/ペン/消しゴム/えんぴつ削りです。

その他にも、お菓子を準備してくださいました。

当日は、まだ道が寸断されており、通常通っている路線バスが未だに無く、キトから小型トラックをチャーター していっていただきました。
 
 


子どもたちの喜びの様子が写真で送られてきましたので掲載します。

2016年5月24日火曜日

洪水被災地に住む奨学生からの手紙

ソハエとサネのみなさまへ

ピサンビージャ村、特にアントニオ・エリサルデ校に起きたことをお話します。
すべては私が雨でびっしょりになって学校から帰ってきた午後に起きました。
私が家についてから何分かすると雨は強く降り始め、どんどん水かさは増し、私の母や近所の人たちの畑の野菜を流していきました。そして私の学校はちょうど底のような場所にあったため、すべての水が流れ込み、教室の窓を割り、教室にあった私たちの持ちものをすべて泥と一緒に流してしまったのです。学校全体が流れ込んできた水と泥に浸かってしまいました。それは恐ろしい出来事でした。
特に給食室は泥壁の古い建物でしたから、流れ込んできた水は建物を破壊してしまい、私たちは給食室を失ってしまいました。翌日の朝、消防士の方々が来てくださり、私たちも彼らと一緒に教室の泥をきれいにするために働きました。すべてはとてもひどい状態でした。本、ノート、授業で使う教材など、すべてはダメになってしまいました。教室の泥を取り去り、きれいにするまで1週間授業はできませんでした。
でも、たくさんの方々(カヤンベ市、教育省、教育委員会など)が私たちの学校の状況に対して救助の手を差し伸べてくださり、寄付が届きました。おかげさまで大きな損害を受けた私たちも復旧することができました。そして、今給食室と食堂が新たに建設されています。まだできあがってはいませんが、きっと素晴らしいものになるでしょう。-ついに-私たちは食事ができる適切な場所を持つことができます。
それは私の学校にとって大惨事でした。けれども多くの人々と組織の連帯のおかげで私たちは前向きに進んでいます。

SANEのみなさまには、素晴らしい給食室の完成のための大きな貢献をしていただき、ありがとうございました。今週は(給食室の床に敷くための)タイルやその他の資材が届きいます。それは教室の完成に足りなかったもので、それが届いてようやくできあがるのです。
大きな感謝を込めて
ヤディラ・モラレス
(編集部注)
エクアドルでは政府の朝食配給の制度が始まったことによって現在手作り給食は行われていないのですが、この学校ではSANE/SOJAEの支援と村や学校の参加で、長い間学校菜園が行われており、この収穫物を使って手作り給食が続いていました。ところが3月に洪水に襲われ、すべての教室とそこにあったパソコンなどの機材や教科書などの教材などと、給食室を失ってしまったのです。
この惨事に、エクアドルではその直後からキトの子どもたちが学用品の寄付を集めるなど支援活動が行われました。もちろん政府機関も学校の再開のために必要な支援を行いましたが、調理室・給食室の建設には至らず、学校の保護者が協力し合って自分たちで建設しました。このための資金が足りず日本に要請がきていました。ゆうちょ事業団からの助成金やみなさまからのご寄付のおかげで、ついに完成されます。
Fundación SOJAE-SANE

El motivo de mi carta es contarle el suceso que aconteció la comunidad de Pisambilla en especial la Unidad Educativa Intercultural Bilingüe “GRAL. ANTONIO ELIZALDE”.

Todo ocurrió en la tarde cuando yo llegaba de la Unidad Educativa empapada por la lluvia, pero después de unos minutos la lluvia comenzó con mayor fuerza, el agua se acumuló más y más llevando a su paso unos sembríos que tenía mi madre y los sembríos de los demás vecinos; y como mi escuela (Unidad Educativa) está ubicada en una hondonada, toda el agua se acumuló y rompió las ventanas de las aulas por la presión de tal manera que todas las pertenencias que poseíamos se llevó el agua mezclada con lodo. Toda la escuela quedo bajo el agua y el lodo; todo fue espantoso.

Como la cocina era de tapial el agua acabo con ella y nos quedamos sin cocina; a la mañana siguiente en la escuela se encontraban los bomberos y juntos con ellos trabajamos para sacar el lodo de nuestras aulas. Todo fue horrible ya que las cosas, libros, cuadernos, material didáctico que poseíamos se dañaron. Las clases se suspendieron una semana hasta limpiar todo el lodo que se había acumulado.

Pero las instituciones (Municipio, MIES, Distrito de Educación, entre otras) se compadecieron de nuestra escuela y al día siguiente llegaron donaciones; gracias a ello pudimos recuperarnos en algo de la gran perdida, y gracias a ellos y a otras organizaciones hoy se está construyendo una nueva cocina con comedor. La cocina-comedor aun la están terminando, pero será muy bueno que -por fin- podamos contar con un lugar decente donde poder servirnos los alimentos.

Sé que esto fue una catástrofe para mi escuela, pero gracias a la solidaridad de la gente y de organizaciones estamos saliendo adelante.

Gracias SANE por su gran contribución para que nuestra cocina comedor quede muy bonita, en esta semana llegó la cerámica y demás materiales, esta era una obra que nos hacía mucha falta.


Muy agradecida, me despido

Atentamente:

 Yadira Morales

2016年5月20日金曜日

地域の環境を守り、子どもたちをはぐくむ植林事業

 SANE/SOJAEは、標高3000m前後のアンデス北部カヤンベの強風と乾燥、そして寒さという問題に加えて、突然の豪雨と洪水からも地域と子どもたちを守るために、植林事業を進めています。

この事業は、公益社団法人国土緑化機構緑の募金交付金とサネの資金で運営されています。

植林は苗木を植えてから大きくなるまでに何年もかかります。特にここでは寒さが影響して苗木の育ちは遅々としたものです。

それでも子どもたちは夢をもって一生懸命木を育てています。その様子を絵に描いて送ってくれました。そこには学校の校舎、周囲の自然環境、子どもたちが働く姿、そして実際に植えている木々の苗が生き生きと描かれています。

どうぞ可愛い絵をお楽しみください。





2016年5月17日火曜日

洪水寄付と助成に感謝!                                           -被災地ピサンビージャでは工事が進む

みなさま、たくさんのご心配と寄付をありがとうございました。

3月に豪雨のために洪水に見舞われたカヤンベ僻地の村ピサンビージャの学校では、調理室が壊れてしまい給食も外で作られていました。

エクアドルでは保護者による手作り給食があったのですが、現在はほとんどの学校で姿を消しています。そのような中、SANE(サネ:日本の会)とSOJAE(ソハエ:エクアドルの会)が学校菜園を行っている学校では保護者の参加によって給食が継続されています。貧しい村の暮らしの中で、給食は大切な栄養源となっています。
ここピサンビージャは人々のエネルギーのみなぎる村で、学校では素晴らしい菜園が行われています。ところが洪水のために調理室を失ってしまい、給食が途切れてしまったのです。保護者はやがて外で調理を始めましたがそれは大変なことです。

学校の保護者達は協力し合って自分たちで調理室の建設に取り掛かりました。完成には30万円ほどの資材購入費用が必要でした。この要請に応えてサネは寄付を呼びかけ、同時に助成金の申請も行いました。
おかげさまで、ゆうちょ財団からの20万円ほどの助成金が決まり、不足分10万円もたくさんのみなさまからの寄付が集まりました!

みなさま、ありがとうございました!
子どもたちの給食がここで作られる日も遠くはありません。

※なお、洪水寄付の受け付けは終了します。地震寄付は5月28日まででいったん集計し、被災地の教育支援にどのように使うか決定する予定です。

2016年5月1日日曜日

出張報告&エクアドル音楽を聴きながら料理を楽しむ会                                    5月29日

5月29日はSANEの活動報告会&総会です。
2月と3月にエクアドル出張をした、奨学生担当の後藤響子理事と杉田優子代表理事の現地報告を、エクアドル音楽と料理を楽しみながらお聴きいただこうという催しです。ぜひお出かけください!


SANE2016年度通常総会特別イベント

出張報告&エクアドル音楽を聴きながら料理を楽しむ会

5月29日(日曜日)午前1030分~1230

ぽかぽかハートヴィレッジ  http://blog.livedoor.jp/pokapokaheartvillage/
駐車場有。電車でお越しの場合は飯能駅または東飯能駅より送迎がありますので事務局までお知らせください。

(飯能市双柳129  ℡ 042-978-8648) (参加費:500円)

報告 後藤響子(理事、奨学生担当)杉田優子(代表理事)

 

飯能という小さな町で始まったエクアドルの子どもたちへの教育支援がはや26年。

成長した子どもたちは、社会に出て技術者、医師、看護師、教員、研究者、そして温かい家庭を築いています。困難の中を、家族を助けて働きながら学んでいる卒業生も。
アンデスの山の学校では、大きな信頼を得て学校菜園を作り、植林をして子どもたちの健康を守っています。
そして現在も続く経済困難の中を、元奨学生が中心となって現地でも資金を作り、協力者を募り、会の活動を継続させようと努力しています。

確実に見えてきた活動の成果。それは公正な社会をめざして協力し合う姿となって表れています。そんなお話をします。
現地での奨学生の様子も後藤響子よりお話させていただきます。

そして、豊かな文化の交流も!

エクアドルで貧しい子どもたちのための学校のボランティア活動をした渡辺文さんが、滞在中に学んだ料理の腕をふるってくださいます。

深く理解しあい、協力し合える、日本とエクアドル

二つの国でほぼ同時に起きた大地震。人々の困難はつきません。同じ境遇にある国だからこそ一緒にできることはある、と私たちは考えています
 
どうぞ、お出かけください!
 

 

さわやかな季節ー新年度ふやふやの活動始まる

 今日は飯能市の南高麗地区で恒例のお散歩マーケットが開催されました。この行事は山間部に住むみなさんがご自分の家の軒先で、畑や山で育った野菜や果物、その加工品を販売し、外から訪れた皆さんはお買い物を楽しみながら山歩きをするというもの。毎年5月と11月の2回開催されています。




『世界のみんなと手をつなぐ店ふやふや』は、SANE会員のお宅の前でいつもお店を出させていただいています。地域の環境保護を目的に、森林で他の植物と一緒に育っているインタグコーヒーやそのほかのフェアトレード品、エクアドル北部アンデス地方の先住民の作った民芸品などを扱っているふやふやの思いはお散歩マーケットの主催者や参加者のみなさんの思いと重なるところもあり、いつも関心をもって見ていただいています。

今日もたくさんの方々においでいただき、お買い上げいただきました。ふやふやの品物は、エクアドルでの仕入れ、日本までの運搬、値段付けなどの準備、そして当日の販売まですべてボランティアで行っています。たくさんの人々の善意のリレーがお買い上げくださることで完結し、収益金がまたエクアドルの子どもたちのために使われることになります。左の写真はパナマハットをお買い上げくださったHさん。お似合いですね。このパナマハット、名前はパナマですが実はエクアドルで作られているのです。夏は涼しげでいいですよね。

これからも飯能夏まつりなどで販売します。どうぞ楽しいお買い物にお出かけください。                        今日は洪水の寄付もよびかけました。たくさんの方にご協力いただき、感謝しています。
ありがとうございました!

2016年4月27日水曜日

洪水被害からの再起                      ー調理室再建にご支援を!

3月に洪水に襲われた、アンデス山中にある村ピサンビージャの学校では、元々古い建物だった調理室が失われてしまいました。
保護者は調理室の再建のためにがんばっていますが、行政からの資金支援は十分でなく、床を作る資金が30万円ほど不足しています。今エクアドルでは地震の復興支援のために増税も予想されており、人々の生活はますます苦しくなっています。
この地域は遠隔地にあり、貧困家庭も多いのが特徴です。SANEではこの学校で学校菜園を行っており、子どもたちは元気に作物を育てています。この作物で子どもにとって重要な給食が準備されていますが、肝心の調理室が壊れた状況下、外で調理しているのが現状です。SANEでは調理室の完成のために支援したいと助成金や寄付をお願いしています。
現在SANEでは地震への寄付も集めていますので、ピサンビージャへの寄付の場合は、連絡欄にピサンビージャまたはpisambillaとお書きください。


右の写真は2015年の調理室の様子。左端がそうです。


この写真は少し遠いですが、調理室がなくなっています。













最後の2枚は外で食事の準備をしているお母さんたちの様子です。


2016年4月22日金曜日

カヤンベの洪水、そしてエクアドル大地震

エクアドルの大地震はまだ続いている余震の中、救済活動が続けられているようです。
SANE/SOJAEの卒業生たちからも色々な情報が来ていますが、大変さを訴えた後で、『でも私たちの連帯は強まるばかり』と元気な言葉で締めくくられています。エクアドルの人々が元気に復活してくれることを心より願っています。

そのような中、日本大使館も『この地震の為、日本との連絡、USAより到着する日本政府の緊急救援物資の受け入れ、専門家、協力隊員の安否確認、移動の指示等で、ほとんど24時間労働になっている様です。』とのこと、現地の日本人のみなさまの努力にも感謝です。

SANEの活動も今後どう展開していくのか、現地で話し合いが始まっています。

さらに、まだアイデアでしかありませんが、防災教育の専門家を日本から派遣したい、地震研究者に日本で学んでもらいたい、といった内容も。時間をかけて実現していきたいです。

一方で、地震被害は少なかったものの、洪水の被害に遭い調理室を失ったカヤンベのピサンビージャの学校では、子どもたちの給食を確保するため、住民自身が調理室建設に取りかかっています。ところが、資金が行政から入らなくなったため床が作れずに困っているとの知らせが。この学校はSANE/SOJAEの支援で学校菜園を行っており、子どもたちの労働によって見事な野菜が収穫されています。せっかくの野菜が生かせなくなってしまうので、調理室の完成が急がれるのですが、資金調達の方法を模索しています。

みなさまからのご支援を心よりお願いします。

2016年4月21日木曜日

エクアドル大地震ーSANEでも募金を始めました

エクアドルのために何かしたいと思っていらっしゃる方も多いと思います。
私たちも現地と話し合ってきましたが、以下のように募金を進めることになりました。
ご賛同いただける方はご寄付をよろしくお願いいたします。

趣旨:
私たちエクアドルの子どものための友人の会(SANE)は、1987年のエクアドル大地震をきっかけに生まれた会です。この地震の時、埼玉県飯能市に住んでいたエクアドル人ホセ・アルメイダは、故郷の子どもたちの惨状を思いました。そして彼自身が貧しい生活の中でたくさんの心ある人々に助けられて勉学に励んできたこと、教育を受けることができたからこそ社会の在り方を考え、行動できる自分になれたことを思い、教育支援の決意をしました。その時考えたことは、
『支援の先まで見通せる規模の支援をする、寄付されたお金は1円も無駄に使わない』
ということでした。そこから始まった活動は、26年後の今多くの人々の人生を変え、エクアドル社会に200人以上の青年たちを送り出しています(現大学生を含む)。その時支援に入った地域では今も学校菜園事業や植林事業が行われ、子どもの権利保護のための活動が続いています。今回の地震でも卒業生の一人は専門家として被災地に入って仕事をしています。

今回の地震は、震源地が私たちの活動地から離れていること、小規模な会でそのほとんどが無償ボランティアということも踏まえ、私たちの会では
『教育支援の分野でやがて必要となる援助、支援の先が見える援助』
を現地と連絡を取りながら今後追求します。
具体的に支援の方法、支援先はまだ決まっていませんが、どのくらいの可能性があるのかは寄付金の集まり具合にもよりますので、寄付の呼びかけを始めることにしました。

以上の趣旨にご賛同の方は下記の寄付先にご寄付をお願いします。

なお、緊急支援も重要です。緊急支援は日本からも別の組織が行っていますので、お問い合わせいただければご紹介します。

エクアドル震災寄付金振込口座(ゆうちょ銀行):
*ゆうちょ銀行からの場合 
 記号番号:10330-81085501

*他銀行からの場合
 店名〇三八(漢字です)
 店番:038
 預金種目:普通貯金
 口座番号:8108550
 トクヒ)エクアドルノコドモノタメノユウジンノカイ



2016年4月20日水曜日

この大変さを完璧にわかる国があるとしたら、それはまさに日本ですー卒業生の言葉

栃木県の那須にあるアジア学院はSANEの卒業生アンドレア(飯能にも来たのでご存知の方もおいでかと思います)が2012年に9か月間留学生としてお世話になった関係もあり、すぐにご心配のメールをいただきました。これを、そのころSOJAE(SANEと一緒に活動しているエクアドルの組織)の代表をしていた同じく元奨学生のディエゴ(彼も2011年の震災のすぐあと、SOJAE代表として社会貢献者表彰の式典に出席するために飯能に来て、アジア学院を一緒に尋ねました)に転送したところアジア学院宛に以下のような返信が来ました。英語ですのでそのまま転載させていただきます。
この中で、彼は『自分たちの状況を十分に理解できる国があるとしたらそれはまさに日本です。』
と書いてあります。この言葉は今なぜSANEがエクアドルのために何かできないかと模索していることの意味を教えてくれます。

エクアドルからの言葉をお読みいただけるとうれしいです。

ARI Team:
My Name is Diego Varela, I ‘been part of SANE-SOJAE team for more than 15 years. In 2011 I was on your training center together with YuKo Sugita.

It is a reliefe to let you know that all our colleagues from Sojae and their families are doing well through this hard moment. If there is country that can fully understand this situation, Japan is definitely that country. We appreciate your words.

The situation for our country is difficult, but also the felling of solidarity all over the country has shown that we are going to be able to get over this disaster. The most affected region by the earthquake is Manabí, a province in the cost of Pacific Ocean. Right now Rescue teams are working so hard trying to find people alive under the rest of buildings. The rest of people are donating the basic things needed in this moment and many citizens are working as volunteers.

Thank you again for your concern in our situation, We know Japan is going through a similar situation rig now.

Best regards,

Diego Varela.

ご心配の声、寄付のお申し出、お問合せをありがとうございます

みなさまより多くのご心配やお問合せ、寄付の申し込みなどをいただいています。熊本の地震で大変な時に、エクアドルのことにも思いを寄せてくださる日本の皆様に心より感謝します。

先ほどのダーウィンの報告にもあります通り、なかなか正確な情報を得ることは難しいのが現状です。多くの支援団体が被災地に向かっているようです。

SANEも現地SOJAEや日本人を通して日本大使館の方ともコンタクトを取り、どのように対処をすべきか検討中です。現在アメリカに在住の、SANEの創始者であるホセ・アルメイダとも連絡を取っています。

私たちは教育支援の会です。そして私たちの会は、大きな組織に寄付をして支援を託すのではなく小さな規模でも行き先が良く見える支援をする会として設立されました。この精神を今回も活かして、現地と密に連絡を取り合って良い方法を考えていきたいと考えています。ご寄付の宛先など、どうぞ今しばらくお待ちいただけますよう、お願いいたします。

エクアドル大地震ー現地からの報告②

ダーウィンからの報告を掲載します。

2016年4月16日のエクアドル地震

ダーウィン・バスコネス

土曜日の午後6時58分にマグにチュード7.8の地震が太平洋沿岸のペデルナレスで起きました。

その日は母と弟のカルロスと一緒に家にいたのですが(カヤンベ市の周辺地。震源から約180㎞離れている)、二人は夕食の準備をしていました。私は生徒に送らなくてはならないスライドを作っていました(ダーウィンは高校教師です)。その時机や壁が揺れるのを感じ始めました。家は狭く庭の方が広いので庭に出ました。母と弟も同じように外に出ました。私たち三人は、通りにある電柱が動いているのやドアや窓がぎしぎしと音を立てるのを驚きと共に見つめました。それはおさまるどころかだんだん大きくなり、1分以上続きました。近所の人たちは通りに飛び出していました。恐怖の叫びと悲鳴がし、母は祈りをささげていました。

最初の揺れが収まったとき、私たちはテレビとラジオもつけ、弟のフランシスコに急いで電話をしましたが電話はつながらず、これは重大だと感じました。何分か後にFacebookを通じてフランシスコと連絡が取れました。フランシスコは キトの国立工科大学の地球物理学研究室で仕事をしていました。( ここは国の地震と火山の監視の責任を負っている機関です)彼は無事で、この機関はただちにマグニチュードは6.9で震源地はマナビ(沿岸地方の都市)だと発表していました。

ラジオやテレビではまだ何の情報もありませんでした。1時間後放送局は視聴者から情報を集め始めましたが、正確な情報はありませんでした。その一方でFacebookではアメリカ合衆国のCNNスペイン語放送がマグニチュード7.8の地震であることなどを発表しているとのことでした。

地震から2時間後、テレビでは何が起きたのか放送が始まりました。けれどもその情報は地球物理学研究所、ソーシャルネットワーク(Facebook, twitter y WhatsApp)といったものからとってきた内容でした。主な内容は、グアヤキルの重要な橋が倒壊し、車が落ちて死者やけが人が多数出たというものでした。

夜9時半になって再度弟と話をしましたが(この時は電話がつながっていました)、情報の不足は大変なものでした。震源地の情報がないこと、震源地が間違っているいこと、揺れはとても大きいとのことでした。
 
翌日、アクセスがあった被災地の写真が届き、状況は大変悪いものでした。
 

被災地の主要産業は観光でした。たくさんのホテルは全壊してしまいました。(土曜日の夕刻でしたので)多くの人々はホテルに戻りシャワーを浴びて夕食に出かけようとしていたところでした。突然の地震にがれきの中で多くの人々が動けなくなってしまいました。
480人の死者、2000人のけが人、 行方不明が1700人と発表されています。 (4月19日現在).

 被災しなかった各県からは連帯が表明されています。被災地に送るために保存可能な食料、服、水など緊急に必要なものの収集をしています。また、色々な国からレスキュー部隊や食糧などの支援が届いています。
 
けれども復興までには何年もかかるでしょう。

*ダーウィンの報告は今後も継続されます。



 
Terremoto del 16 de abril de 2016 - en Ecuador

 

Testimonio Darwin Vásconez

 

El sábado a las 18h58 minutos se produjo un terremoto de 7,8 grados en la escala de Richter, con epicentro en las costas de Pedernales.

 

Ese día con mi familia nos encontrábamos en casa, mi madre y mi hermano menor (Carlos) estaban cocinando, yo estaba en mi cuarto preparando unas diapositivas que debía enviarles a mis estudiantes. En esos momentos comencé a sentir que el escritorio y las paredes se movían, dado que mi casa es pequeña y que el patio es amplió, salí al patio; mi madre y mi hermano habían hecho lo mismo. Una vez reunidos, vimos con asombro como los postes de luz (Ubicados en la calle) se movían, a la vez que las puertas y ventanas crujían; y el movimiento en vez de aplacarse aumento y se prolongó por más de un minuto. Mientras mi familia salió al patio, nuestros vecinos habían salido a la calle. Escuchamos gritos y suplicas. Mi madre rezaba.

 

Una vez que terminó el sismo inmediatamente llamé a mi hermano, al tiempo que prendimos la radio y la televisión en espera de noticias. Las líneas telefónicas estaban inhabilitadas. Lo que me hacía suponer que el evento había sido grave. Minutos después –a través de Facebook- pudimos comunicarnos con mi hermano Francisco, que estaba en Quito, y trabaja en el Instituto Geofísico de la Escuela Politécnica Nacional (Institución responsable de monitorear sismos y volcanes en el país) él se encontraba bien, en el cuarto que arrienda, pero preocupado, ya que el geofísico había publicado que el sismo era de 6,9 grados y que su epicentro eran las costas de la provincia de Manabí. 

 

En la radio y en la televisión no había ninguna información. Luego de una hora (Aproximadamente) una emisora de Quito comenzó a receptar llamadas telefónicas donde radioescuchas informaban que el sismo se había sentido con gran intensidad y que en algunos sectores de la capital no tenían luz. En Facebook, en cambio se había publicado información de CNN en español donde el Servicio Geológico de Estados Unidos señalaba que la intensidad del sismo era de 7,8 grados; al tiempo que el Geofísico informaba sobre varias réplicas, y rectificaba la información inicial sobre la intensidad del sismo acogiéndose a la proporcionada por el Servicio Geológico Norteamericano.

 

Dos horas después del evento sísmico, en la televisión se comenzó a informar sobre lo sucedido, pero las fuentes eran: el Geofísico y lo que se publicaba en las redes sociales, Facebook, twitter y WhatsApp. La principal información daba cuenta de que en Guayaquil se había caído un puente a desnivel (Muy importante), y que atrapó a un vehículo, el resultado un muerto y un herido.

 

A las 21h30 minutos nuevamente conversé con mi hermano Francisco (Esta vez por teléfono, pues ya estaban las líneas operativas), se encontraba en el geofísico y las noticias eran muy malas, pues la falta de información desde las zonas ubicadas en el epicentro era un mal indicador, además la intensidad del terremoto hacía prever lo peor.

 

Al día siguiente, llegaron las primeras imágenes de algunas de las zonas afectadas (Aquellas a las que había acceso) y el panorama era desolador al igual que los testimonios.

 

La principal actividad económica de la zona afectada era turismo; muchos hoteles se derrumbaron por completo. Un testimonio señalaba que a la hora en que ocurrió el sismo la gente suele regresar al hotel para bañarse y luego salir a merendar. Por lo tanto, hay mucha gente atrapada entre los escombros. Las cifras oficiales hablan de 480 muertos, más de 2000 heridos y 1700 desaparecidos (Hasta el 19 de abril).

 

En las provincias que no fueron afectadas hay varias muestras de solidaridad, se están recogiendo alimentos no perecibles, ropa, agua, y otros productos de primera necesidad para enviarlos. También la ayuda ha provenido de varios países con expertos en rescate, alimentos y vituallas. Todo esto ayuda a paliar la situación actual. No obstante, la reconstrucción tardará varios años.

 

2016年4月19日火曜日

現地からの報告

その後、現地の多くの卒業生から無事の報告や、キトで大きな揺れがありびっくりして外に出たという話などがありました。また、カヤンベのスタッフのダーウィンとも話ができました。キトもカヤンベも大きな揺れがあったものの、今のところ会の関係者に人的被害などの報告はないということでした。しかし、SANEの創設のきっかけとなった1987年の地震は6.9だったということで、今回の方がずっと大きいです。被災地域は海岸地方の観光地でした。地震発生が週末だったこともあって多くの人がホテルに宿泊していたそうです。そのホテルが全壊してしまったために、まだ多くの人が建物の下敷きになり、見つかっていません。
『私たちはとても連帯感が強い国民だから、みんな何かで支援に関わろうとしています』とダーウィン。ラテンアメリカの各地からも救援が入っていますが、何か彼らの姿を見ると悲壮感というよりも使命感にあふれて凛々しい感じがします。困ったときはお互いさまという文化を強く感じています。

卒業生で昨年大学を卒業したばかりのダーウィンの弟のフランシスコは地球物理学(火山学)を学んでおり、これから大学院に進みたいと考えています。彼は参加している地球物理学のチームと共に余震の調査のために被災地に向かったそうです。余震はまだ続いています。彼からも連絡があり、情報を知らせてくれるそうです。

また、長年カヤンベで協力してくださった元教育委員のデ・ラ・トレー氏は、息子さんが被災地で遺体捜索の活動に携わっているとのことでした。





2016年4月18日月曜日

エクアドルで大地震

エクアドルで16日にマグニチュード(M)7.8の地震が起きました。政府の発表によると、現在わかっている死者が246人、負傷者が2527人とのことです(17日の内務副大臣の発表)。現地では、倒壊した家屋やホテルの下敷きになった人々の懸命の救出活動が続けられています。

地震が発生したのは16日午後6時58分(日本時間17日午前8時58分)で、揺れは約1分間続いたとのことです。震源は首都キト(Quito)の北西約170キロの海岸部です。
被害が大きかった町の一つ、ペデルナレス(Pedernales)の町長によると、多くの人々が倒壊したホテル約40軒の下敷きになっており、未確認の死者は最大で400人に上るとも推定されるそうです。最も被害の大きかった地域には治安部隊1万4000人、医療従事者241人が派遣されているようですが、おそらく現地は大きな混乱が続いていると思われます。
英国のオープン大学(Open University)のデービッド・ロザリー(David Rothery)教授(地球科学)によると、M7.8という地震の規模は、16日に熊本で起きたM7.0(USGS公表値)の地震よりも「総エネルギー量でおそらく約20倍大きい」ということです。同教授は、2つの地震には因果関係はないとしています。(以上FBB通信の記事より)

地震があったのは日本時間だと17日の朝のことでした。エクアドルのSOJAEのスタッフから熊本の地震のお見舞いメールをいただいて、その返事に『日本とエクアドルは同じ環太平洋地震帯ですね』と書いたところでした。ニュースを見た一人のマドリーナ(奨学生との文通をやってくださっている方)の方から電話があり地震を知りました。

SANEとしてただちに現地と連絡を取り、ボランティアスタッフのセシリア・キラチャミン(キト在住)と話をしましたが、活動地のキトやカヤンベは大きな揺れに襲われ、カヤンベに入る道路の土砂崩れなどはあったものの奨学生やメンバーは全員元気であるとのことでした。先日洪水に襲われたカヤンベの学校の様子も懸念されますが、まだ情報は入っていません。

SANEができたのも1987年の大地震がきっかけであったことを思い出します。このときは震源がカヤンベ付近でした。日本もエクアドルも地震からの復興は並大抵ではありません。九州の被災者の皆様には心よりお見舞い申し上げます。そして、エクアドルというまだまだ社会的基盤のぜい弱な国において起きてしまった、より大きな地震にも関心を向けてくださりありがとうございます。
多くの会員、ボランティア、友人のみなさんからご心配のお問い合わせをいただき、ありがとうございました。新たな情報が入りましたらお知らせいたします。

2016年3月26日土曜日

いよいよ4月3日                              青年海外協力隊の体験と SANEでの活動を聴く会

青年海外協力隊は日本ではよく知られた、途上国支援の組織です。毎年日本の多くの青年たちが途上国の人々のために何かしたいと思って青年海外協力隊に入り、活躍しています。
でも、帰国後にその経験を活かして活動する機会は意外に少ないのが現状です。
そのような中で、青年海外協力隊としてエクアドルなどで活躍して帰国し、その経験を活かしてSANEで活動してくださっている方が何人かいます。その中でも今回はお二人に話をしていただきます。

SANEの奨学生担当の後藤さんと嵩岡さんです。

後藤さんがエクアドルに協力隊で行かれたのはずいぶん前のことですが(1992年~)、帰国後南米とは関わりのないお仕事をされているにもかかわらず、優れたスペイン語力を生かしてずっと翻訳者、奨学生担当として奨学生たちの成長を見守ってきてくれました。2月には担当として初めてエクアドルに出張し、直接SOJAEの担当者や奨学生たちと話をし、短い期間になんと11人の家庭訪問を敢行!より深い理解につながったと思います。

嵩岡さんと私(杉田)が初めてであったのはキトでした(2006年)。協力隊員として小学校の算数教育のために活躍されていました。私も数学教員でしたので、興味深く教科書などを見せてもらったのを覚えています。帰国後同じ協力隊員と結婚され、今はお子さんが二人に。子育てに追われる中奨学生担当として活動してくださっています。

この二人に話をしてもらう事は、SANEにとって次世代に活動をつなぐ大切なきっかけとなるでしょう。今回はこれに加えて協力隊員として二人の大先輩にあたり、杉田の大学院の指導教官でもある木村秀雄先生(今月退官され東京大学名誉教授になられます)が応援に駆けつけてくださいます。木村先生も数年前に杉田の案内でSOJAEの活動地域を尋ね、メンバーと交流をされました。また、現在に至るまでながくJICAの協力者としてご活躍です。

SANEの活動やJICA青年海外協力隊やNGOなどの国際協力、南米に興味をお持ちの方、どなたでもお気軽にご参加ください!
エクアドル民芸品やフェアトレード品の販売もします。なかなか手に入らないアルパカ100%のショールなどを特別販売いたします。

日時:平成28年4月3日(日曜日)
時間:午後1時30分~午後4時30分
会場:丸広百貨店飯能店7階 市民活動センター会議室
アクセス:西武線・JR八高線東飯能駅より徒歩0分(駅直結)

チラシダウンロードPDF

2016年3月23日水曜日

SANEとSOJAE、新しいステップへ!(SOJAEのフェイスブックより)

エクアドルのSOJAE(ソハエ)のFacebookをシェアします。なお、SOJAEは現在ウェブページを作成中ですが、Facebookでも活動の紹介をしています。卒業生たちもページを持っています。ご関心のある方はのぞいてみて下さい。


訳:卒業生とボランティアスタッフがSANE代表の杉田優子さんと会を持ちました。会の目的はすべての人、特に子どもたちと青年たち、そしてこれまで排除されて来たすべてのグループの人たちが発展のために同じ機会を持つ事ができる公正な社会を建設するための“もう一つの”教育的なプログラムを発展させ継続することです。


Los ex-becarios y voluntarios de la Fundación SOJAE mantuvieron una reunión con la Señora Yuko Sugita, Presidenta de SANE, con el fin de plantear alternativas y continuar con el desarrollo de los programas educativos para construir una sociedad justa en la que todos y todas tengan las mismas oportunidades de desarrollo; especialmente los niños, las niñas, los/as adolescentes, los/as jóvenes y todos los grupos que tradicionalmente han sido y son excluidos.


2016年3月21日月曜日

今年度の出張について

SANEでは今年度久しぶりに二人の出張者を出しました。特に2月に奨学生担当の後藤響子さんにエクアドル出張してもらった事は奨学生事業にとって大変画期的な事でした。SANEはずっと経済的に困難が続いてきており、複数の出張者を出す事、とりわけ助成金の出る事業費の中に出張が最初から含まれている教育環境事業と異なり、会員の会費からの資金を基盤とする奨学生事業ではここ何年も担当者を現地出張させる事ができませんでした。
今回あえて奨学生事業担当者に行ってもらったのは、この事業がSANEの主軸の事業であり、現地に行かないで恊働の仕事をする事は実際にはなかなか困難である事、逆に言うと現地に行く事によって事業の前進がはかれる事を理事会が認めたためです。
担当の後藤響子さんはフルタイムの仕事を抱えつつも、その傍らSOJAEの現地の仕事に寄り添い、SANEの会員の中のパドリーノス(奨学生の文通相手)と奨学生との間の文通による交流に力を尽くし、この事業を支えています。2月6日から15日の出張期間中に精力的に2つの支部の奨学生講座の視察と奨学生との交流、11人の奨学生の家庭訪問、事業担当者との話し合い、地域視察などを行いました。SOJAEの担当者とはSkypeなどでのやり取りはしていたものの、直接会うのは初めてという事で、お互いに知り合えた事で理解を深めることができました。
一方、杉田の出張は通常の教育改善事業(学校菜園と植林)を中心としたもので、3月8日から22日でした。学校菜園事業訪問校ではお伝えしたようにピサンビージャの水害にも遭遇し、地域の現実の厳しさを目の当たりにしました。また、次年度から新たに事業校として加わる学校(オットーシャルノウ校、ラファエルコレア校)にも訪問し、担当教師と話をし、子どもたちの様子も見てきました。ラファエルコレア校ではその村のリーダーや


保護者とも話をし、学校菜園や植林の事業が大変期待されていることがわかりました。
今回はその上に奨学生事業の卒業生にインタビューをし、彼らとの会合を持ちました。これによって改めて26年間積み上げて来た奨学生事業の成果を知る事ができました。

予算的には複数の人間を現地出張させる事は大変難しいのですが、私たちは常に『何のために』『どのように』活動するのか、そして『どのような成果』があり『どのような課題』があるのかを明らかする事が求められています。現地を知る事によってそのような課題をより多くの人が知り、寄せられた寄付金、会費や助成金を有効に使って行くことができるようになります。今後も日本で地道に仕事をしているメンバー(もちろんボランティアです)が出張できるよう皆様からもご協力を頂ければ幸いです。

*写真は上から、奨学生講座の様子(後藤撮影)サンパブロ・ウルコの学校の学校菜園担当の先生と子どもたち、オットーシャルノウ校の子どもたち、ラファエルコレア校の子どもたち(杉田撮影)。

2016年3月20日日曜日

SOJAEの新たな一歩を目指してー卒業生と話す

明日までの予定でエクアドルに出張している杉田です。
SANEが支援した元奨学生たちは200人を超えています。そしてすでに社会に出て技術者、医者、看護師、教師などの仕事を始めている卒業生も。貧しい中を働きながら粘り強く大学を目指している卒業生たちもいます。
今回はカヤンベでもキトでもできる限り時間を取ってそういった卒業生と話をしています。その目的は、26年間の活動の一つの成果として、かつて奨学生プログラムの支援を受けた子どもたちが今何をしているのか、そして彼らにとって支援がどのような意味を持つものだったと考えているのかを知る事です。
SOJAEスタッフの協力を得て、インターネットを通じて出張前にアンケートを送り約50人から返答をもらい、こちらに来てからはカヤンベとキトで20人以上に会う事ができました。特に昨夜はキトで16人の卒業生と2人のスタッフも集まってくれて、熱心で楽しい話し合いができました。

卒業生との会は、私からのメッセージを読んだ後、一つの問いかけから始まりました。

メッセージ概略:26年間の活動の結果として、私たちの目標である『公正な社会の構築』に近づいたのでしょうか。そこに近づく基盤としての卒業生たちの今はどうでしょうか。あなたたちはファーストペンギンになれているでしょうか。
また、私たちの活動自体が他には見られないような、卒業生が支えている会であり、ファーストペンギンの姿を示しています。この活動が継続して行くためにはどうしたら良いのでしょうか。

問いかけ:SOJAEの奨学生事業はこれからも必要だと考えていますか?

この問いかけから始まった卒業生たちの話し合いはとても充実したものでした。経済的支援よりも青年の育成という点でとても重要だというのです。現在は学費は無料になっているので、奨学金が学校に支払う授業料支援という意味合いは少ないのですが、それよりも必要な事は社会性を身につけ、仲間と共に活動する事から多くの事を学び、互いの信頼を深め、社会への責任を身につけて行く事が何よりも重要だと言います。日本に来た事もある学生時代にSOJAE代表を務めたディエゴ・バレラは、2009年に大統領が言った『SOJAEやSANEのような会がなくなる事が政府の仕事』という言葉に応えて、『(私たちのような会は)もちろん必要です。』と強調しました。そしてエクアドルと日本の恊働の仕事こそ今後も継続して行く価値があるとそれぞれが話していました。
また、自分の奨学生時代を振り返って、奨学金がなければ今の自分はなかっただろうと、振り返ります。日本から見るとたった25ドルくらいの奨学金ですが、彼らにとってはやはり学業の継続のためには欠かせなかったのです。このことは多くのインタビューからも今回実感できたことでした。
エクアドルも日本も経済的困難を抱えている今、組織を支えて行く事は容易い事ではありません。彼らはそれぞれがどのような事が来出るのか時間をかけて出し合っていました。そばで聞いていて、話をまとめる力のあるパオラ、方向性を明らかにするディエゴ、多様な提案のできるガブリエルやより若いメンバー(38歳から18歳までいました)それぞれが果たしている役割を感じました。すでにSOJAEのウェブページも準備が始まっています。
彼らの今後の活躍が期待されます。