2014年1月31日金曜日

SANEの国内事業はどのように動いている?

SANEの総予算額は約560万円。国際支援をしている組織としてはけた違いに少額です。このうち現地送金額は487万円(87%)、現地出張費が20万円(3%)で、両方合わせると約90%になります。これ以外が国内事業費で、54万円弱です。
この少額で国内の事業が動いているのには、理由があります。
一つは、無償ボランティアの大きな支えです。もう一つは経費のかかるイベントやフェアトレード事業をSANEの組織の外に出して自立採算にしているからです。

無償ボランティアの大きな支えとは、次のような活動です。
*事務局
コンサート実行委員会はほぼ事務局メンバーが中心です。みなさん多忙な中を縫って協力者を増やしながらチケットを売ったり、SANEの事務を行っています。25年間1度も休むことなくコンサートをやり続けてきた、音楽に関する『専門性』と、楽天主義はなかなか他には見られないでしょう。飯能にワールドミュージックを楽しむ機会を提供し続けてきました。今年もそうですが、普通なら飯能に呼べないような音楽家をお呼びしているのも特徴です。
でもそろそろコンサート活動も後継者が育たなければ難しいところにあります。ステージ作りもコンサート運営も高い専門性を持っていながら引き継がれないのは残念なことなのですが・・。

*翻訳
現在35組の奨学生とその文通相手の日本人が毎月の手紙交換を楽しんでいます。これを支えているのは翻訳者たちです。この方々の中には、スペイン語に関わる研究者から初学者でありながらネイティブの協力を得てがんばって訳しておられる方まで多様な人々がおいでです。すべて無償でやってくださっています。まさに、1組の奨学生と日本人会員の心の交流を何年も陰で支えている縁の下の力持ちの方々です。

*会報製作
日本語版とスペイン語版が同時に出るのがSANEの自慢。編集委員の方々は幼いお子さんを抱えながら夜中に会議をしたり、忙しい仕事の合間に翻訳をしたり、記事の決定、編集、校正、表紙絵、さらに印刷、発送まですべて手分けをして無償ボランティアの仕事です。

*事業部会
フルタイムで仕事をしている方々が夜中に事業計画を作成したり、休暇をとって助成金の申請に行ったり。出張も年休をとって行きます。
奨学生事業の方は、やはり忙しいメンバーが朝や夜に時間をとって話し合いの機会を持っています。作業部会には主婦もいますが、毎月集まって色々な悩みを相談する時間にもなっています。
写真は文通作業部会の様子。エクアドルから届いた奨学生の手紙を間違いのないように翻訳者に送ったり、パドリーノス(日本人の文通相手)に送る準備をしています。奨学生部会だよりなども一緒に送ることもあり、普通料金で行くかどうか重さを測ったり、結構細かな仕事もあります。右手前は唯一の有給の事務さん。優秀で良く気がつき、私たちボランティアは助かっています。
  

*物品販売
毎月予約注文販売をしっかり支えて下さっているのは飯能と所沢の市役所、福祉事業所、個人商店、個人のみなさん。もちろん、手間のかかる無添加手作りお菓子を作ってくださるお菓子屋さんも大きな支え。しっかりしたフェアトレード商品を提供してくれるウィンドファームも貢献してくれています。また、民芸品はエクアドルで仕入れ発送してくれているボランティアメンバーがいます。

一人ひとりの力は小さくても、地道に継続した活動が私たちの活動を支えてくれています。
SANEはまだまだこういった力を必要としています。

こういった活動を通して人と人とのつながりをつくり、仕事や子育てに疲れた心をいやしたり、新鮮な視点を提供することもあります。ある職場では『うつなど心の疲れを防ぐために、少し遠くの、違う世界のことを考えたり、非日常的な活動をしてみませんか』とSANEの活動への支援を決めたと聞いています。

仕事以外の、あるいは退職後の社会とのつながり作り、年代を超えた交流、外国を知る新しい機会として、SANEの活動が生きていれば素晴らしいと思います。

2014年1月26日日曜日

SANEの創始者、ホセ・アルメイダ(ぺぺ)がアメリカでマルティン・ルーサー・キング賞を受賞!

1986年から飯能市に住み、1987年のエクアドル大地震の際にチャリティコンサートを開催して母国エクアドルの子どもたちを支援したことをきっかけに、SANEを設立したぺぺは、今アメリカのコロラド州に住んでいます。一昨年同州のエステスパークにスペイン語教師として採用され、昨年からは教育委員会で学校とスペイン語コミュニティとのつなぎ役として仕事をしています。そのぺぺが上記のような素晴らしい賞を受賞したことをお知らせします!右の写真は受賞の時のもの。右側がぺぺです。

エステスパークはロッキー山脈の中に位置し、豊かな自然があって、観光と定年後に移住したい場所として良く知られています。ここにはスペイン語圏の人々が多く住んでいますが、その人々への支援はまだ充実しているとは言えません。残念ながら経済的に困難な家庭も多く、両親がなかなか子どもの面倒を見る余裕がなかったり、学校の状況を理解できなかったりということもあって、学習面で支援を待っている子どもたちも多いのが現実です。昨年の大洪水の爪あとがまだ残っており、職を失った人々がたくさんいます。
ぺぺをご存知の方は想像していただけると思いますが、不正を許さず、正しいと思ったことに向かって進んで行くのがぺぺの信条。スペイン語圏の人々が英語圏の人たちと平等に暮らしていくことができる社会にするために、たくさんのことをしてきました。学習への意欲づけのための賞を創設したり、英語版しかなかった公的支援のパンフレットのスペイン語訳を作ったり、図書館でのスペイン語の本の読み聞かせを始めたりするなど、幅広く活躍。昨年11月に杉田代表理事が訪問した時にも多様な成果を見てきました。(上の写真は車の前を道路を横切る鹿たち。そこここに見られます。右の写真は図書館での読み聞かせの様子。ぺぺが最初は一人で始めたこの活動も今では別の人々が引き継いでいます。下の写真は教会に設置されたボード。職を探している人と、働く人を探している人がここに互いのメッセージを貼ってうまくマッチするようにと設置されたもの。)


ぺぺは、新たに市立病院の委員にも就任するそうです。一方で高校の夜の教室を使って、アメリカ人向けのスペイン語教室を楽しく行っています。

 どこに行ってもSANEの精神で活き活きと社会のために活躍しているぺぺの姿をお知らせしました。関心のある方は下記のEstes Park Newsをご覧ください。英語とスペイン語と両方掲載されています。


http://www.eptrail.com/estes-park-news/ci_24958699/ministers-award-jos-almeida-martin-luther-king-peace

2014年1月14日火曜日

生活の質を豊かにする技術教育

カヤンベのサンパブロ・ウルコとロッテ・ドスでは、SANEの支援で技術教育がおこなわれています。この技術教育は、木工、工芸、溶接の三つの分野があります。今日は12月の報告から、その様子をお伝えします。

まず、木工ですが、これまでこの講座の成果で、学校の壊れた椅子や机を修理したり、作った棚や椅子を家庭に持って帰って使ったりしてきました。今年は、パソコンを置く棚を作っています。この講座でも定規を使って直角に測ることなどを通して計算力を始めとした数学的な力をつけています。また、材料は自分で準備をするということもあって、最後まで自分で持ってきた木を大切に使っています。
写真はロッテ・ドスの様子です。最初の2枚は12月の様子。年度が始まるのは9月ですからまだ講座は始まったばかりです。木工用の機械がなく、手ですべてやっています。資金があればもっと良い作品ができますが、どこでもできる技術を身につけることができます。


下は昨年度の作品です。卒業生の中にはこの分野でもっと学ぶために進学した人もいます。




















次に工芸の様子です。こちらも木を使いますが、木に美しい絵を描くために、最初に色彩に関する学習をします。みんな楽しんでいます。
これで学校章や国や県、市のシンボルを作って学校に掲示しています。
楽しいディズニーの絵の壁飾りなどもあります。







溶接は学校の遊具を作ったり、窓枠やサッカーのゴールを作ります。すぐにでも売れそうな完成度の高い作品ができます。最初の写真はロッテ・ドスのもの。
ロッテ・ドスでの講座は昨年から始まり、まだ日が浅いのですが、順調に進んでいます。

生徒たちが誇らしげですね。




















サンパブロ・ウルコで教えているのは元この学校の用務員さん。講座の初年度の受講生でした。今は立派な先生になりました。
下の写真は教室の窓枠、これも作品です。今後は小規模産業に発展させるのが目標です。

2014年1月12日日曜日

学校給食は自分たちで作った野菜で!

昨年度の学校菜園の収穫は順調で、伝統的な作物の栽培と学校給食に大きな貢献を果たしました。サンパブロ・ウルコでの様子をご紹介します。サンパブロ・ウルコのウンベルト・フィエロ校は村人の力でかつては小学校4年生までしかなった学校を中学3年まで増やしてきました。そして、村の文化を大切にする、民族衣装で登校、伝統的な生薬の栽培、農業教育などを重視してきました。保護者の協力による手作り給食も続いてきていました。SANEも継続的に支援してきた学校です。
しかし、政府のミレニアム学校(施設の整った大規模校を中心地に1校建てて、村の学校は廃校にするという政策)によって、ここの学校は廃校になる可能性があります。
左の写真は、これから植える野菜について学習する子どもたち。昨年の10月です。
ここの子どもたちは、種の量や土地の広さを測ったり、計画を立てたりする中で、算数や予測をすること、話合うことなどの力をつけていきます。
場合によっては、高校生より賢かったりして、驚かされます。
下の写真は土作りをやったばかり。

この写真は12月の作業の様子です。何か話合っていますね。

藁をかけています。

これは給食室。保護者が来てスープを作ったりご飯を炊いたりします。

順番を決めて調理に来ます。

子どもたちは菜園で採れた野菜がたっぷり入った温かいスープをいただきます。

2014年1月11日土曜日

アンドレアがカヤンベに帰りつきました!

2013年の3月以来日本に滞在し、4月より9ヶ月間にわたってアジア学院で農村リーダー研修を行い、12月14日に卒業したアンドレアは、しばらくその後日本で報告会を行ったり、自由の森学園高等学校や駿河台大学のスペイン語授業に出たり、SANEの周辺の方々と交流を深めましたが、本日日本時間の11時ごろ無事にカヤンベの自分の家に戻りました。

アジア学院での学びの成果は大きく、自然と共に生きるという哲学を持って、地域の人々と共に農業を中心とした発展を実践していってくれると期待しています。カヤンベでの今後のプロジェクトにご期待ください。

<アンドレア滞在中の思い出アルバム>







ふくしまとエクアドルがつながる                                  豊かなふるさとへの思い

2月23日はエクアドルコンサートです。コンサートのテーマは『ふるさと』です。このテーマには深い思いがあります。

SANEのコンサートは1月6日のブログにもあるように、設立前の1987年に起きたエクアドル大地震の時以来、毎年休むことなく続いてきました。SANEはまさに大地震をきっかけにできた会です。地震の時に日本にいたホセ・アルメイダ(ぺぺ)が、コンサートを行い、その時に得た寄付金で学校を建設することで、ふるさとへの思いをあらわし、それに多くの日本人が協力したことが、この会の設立へとつながっていきました。それが四半世紀25年も継続できてきたのは、ぺぺのふるさとへの思いに多くの日本人が自分の思いを重ね、この活動に意味を見出してきたからです。
25年目の年にこのテーマでコンサートを開催することで、改めてそのことを振り返りつつこれからの日本を考えていく機会を得たいと思います。

2011年3月11日の日、会の代表杉田優子と会員の木崎詳子は、カヤンベに滞在中でした。カヤンベの奨学生たちはこのことに大きな衝撃を受け、自分の文通相手のSANE会員のことを大変心配し、中には泣いている子もいました。

原発事故とその後の深刻な放射能の問題に、私たちはかつてなかったような社会不安に襲われ、問題の解決を模索して多様な人々が多様な取り組みをしてきました。それは飯能市の中でも同じでした。杉田はこうした取り組みをしている7名の方々にお願いしてエクアドルの子どもたちにメッセージを書いていただき、1年後の2012年3月に再びエクアドルに出張し、奨学生たちと文章を読み、

このことについて話し合いました。(詳しくは2012年のブログに掲載。写真は文章を読んで話合い、発表し合う奨学生たち。)

一方で、エクアドルには『自然の権利』を認めた素晴らしい憲法があります。そこには、一時的な人間の権利よりも、あとで人間に深刻な被害をもたらす可能性のある自然破壊に対する、自然の権利の方を優先するということが書かれています。私たちもこの憲法に学ばなくてはならないのではないかと考えます。



今回お迎えする木下尊惇さんとYaeさんが、長く福島の方々とつながり、福島に通っておられることは、私たちにとって大変印象に残ることでした。今回、このお二人を迎え、私たちと共通の思いを深めることができたらと願っています。

みなさま、どうぞコンサートにお出かけ下さい。そして心に残る音楽を通じたメッセージを共有ししていただけたらと願っています。
尚、チケットのご購入は、会へのメールや電話・FAXでお願いします。お待ちしています。

2014年1月8日水曜日

子どもたちに地元でできた野菜や穀物を! アンデスで継続する学校菜園事業

今回は私たちの会がアンデスで進めている、『伝統農業の復活』、『地元でとれた野菜や穀物を使った給食を提供し、栄養改善につなぐ』、という目的を持った学校菜園事業をご紹介しましょう。

事業を行っている学校のうち、エル・アトという村のマヌエル・アルバン小学校では、長い間雨が降らず種まきが遅れたのですが、11月にようやくできました。ここは標高2940mのところにあり、320人の子どもたちと14人の先生がいます。
最初の写真は8月のもの。まだ土作りはこれから。

右の写真は、芽を出したばかりの苗です。植えられる日を待っています。
左の写真は植えた後の様子。

下の写真は別の学校ですが、キャベツの前の子どもたちが可愛いですね。



 
 
 
 

2014年1月4日土曜日

ワールドミュージックを提供してきたエクアドルコンサート                     木下尊惇さんと語る

5年前に20周年を記念して編集した『SANE20周年記念誌』の一部をご紹介します。
木下さんとの座談会も、かなり長いですがどうぞお楽しみください。

SANEエクアドルコンサート20年の歩み


開催年・回

テーマ

出演者

会場

 
   8889         自由の森
 
   
    90
6月30日
3
  南米エクアドル
チャリティーコンサート
  マヤ・アイレス、自由の森学園音楽科、ロス・トレス・アミーゴス、ネフェティティ  飯能市民会館大ホール

 
    91
76
4
  LA MUSICA
LA FIESTA 同時開催
  ネプチューン海山、マヤ
舞鼓、チャカ・トゥンバ
  飯能市民会館大ホール

 
   92
712
5
  えくあどる ちゃりてぃ こ  
 んさーと
  ロス・トレス・アミーゴス
  エイサー・サバド
  飯能市民会 
 館大ホール

 
   93
74
6
  太陽と人生の物語
 LA RAZA
  マヤ、ロス・トレス・アミーゴス、ラス・ニンジャス、村田三郎   飯能市民会館大ホール

 
   94
612
7

 大地 LA TIERRA
  ラ・パルティーダ、
 シサイ
  飯能市民会 
 館大ホール

杉田
   95
  618
   8

 GAMBATEANDS
  インティ、ピガピガ、
  ウィンニャイ
  飯能市民会 
 館大ホール

杉田
   96
630
9
  エクアドル子どもたちのコ
 ンサート
  日出克、シサイ   飯能市民会
 館大ホール

杉田
   97
  524
  10
  風にのって 
  EL VIENT
  テゥパク・アマル、ルイス・リ 
 オス、打木進太郎、
  シサイ
  飯能市民会
 館小ホール

杉田
   97
  921
  11

QUITOからの便り

本谷美加子(オカリナ)

飯能市民会館小ホール

佐々木
  98
  52
  12

GOSPEL CELEBRATION

ザ・チョウズン・ワンズ、ビバ・ムシカ

飯能市民会館大ホール

パブロ
  マローネ
   99
  529
  13回
 
  ロス・ソリスタス(木下尊惇、
 菱本幸二、ロス・トレス・アミ
 ーゴス、マヤ)
 飯能市民会
 館大ホール
  
   亀山
   00
   72
   14

再会 REENCUENTRO
  ロス・ソリスタス、高橋昌宏、 
 打木進太郎小林智詠、小松邦彦、東京大学民族音楽愛好会、日本女子大学フォルクローレ愛好会
  飯能1丁目・2丁目囃子保存会、ペペ・アルメイダ

飯能市民会館大ホール

亀山
   01
   715
   15回

15SANEエクアドル・コンサート  
  ロス・トレス・アミーゴス、シサイ、岡田浩安、西元寺哲史、ホセ・アルメイダ
飯能市民会館大ホール

東城
  02
  623
  16

16SANEエクアドル・コンサート

シサイ

飯能市民会館大ホール

東城
03622
  17
  17SANEコンサート
 
NORA y  su ORQUESTRA

飯能市民会館大ホール

東城
   04
   74
   18
  18SANEエクアドル・ 
 コンサート「世界は日の出
 を待っている」

薗田憲一とデキシーキングス

飯能市民会館大ホール

東城
  05
  626
  19

19SANEエクアドル・コンサート

シサイ

飯能市民会館大ホール

栗原
    06年
 924
  20
 
20SANEエクアドル・
   コンサート
 
NORA y  su ORQUESTA
 
飯能市民会
大ホール
   
  東城
   07
  715
  21
 21SANEエクアドル・コンサート「Encuentros/出逢い」
木下尊惇フォルクローレユニット

飯能市民会館小ホール

佐々木
   08
  1012
   1
  エクアドルふれあいコンサート実行委員会主催「アンデスのほほえみ」

木下尊惇 & 上松美香

飯能市民会館小ホール

東城
   10
   42
   2
  エクアドルふれあいコン 
 サート実行委員会主催 
 「EL PASO・歩み」

カチート寺沢、岡田浩安、
  ペペ・アルメイダ

飯能市民会館小ホール

東城
 
SANEのコンサートの歩みと私たちの思い ―木下尊惇・東城康夫・杉田優子

SANEコンサートはSANEにとって、とても大切なイベントになっています。
度々、心よく出演くださっている木下尊惇さんを囲んで、コンサート主催責任者の東城康夫理事、代表理事の杉田優子が本音を吐露しながら木下さんのコンサートに対する「こだわり」「優しい眼差し」に迫ってみました。
   木下尊惇さん・・・・日本を代表するフォルクローレ演奏家。SANEのコンサートには何度も出演。難しいペペとの共演も何度もお願いしている。
   東城康夫理事・・フルート職人を生業とする。自らの音楽的こだわりを大切にしたコンサート作りで独自の質の高いコンサートを実現してきた。現地事業の責任者としても活躍。
   杉田優子代表理事・・SANEコンサートが現地音楽グループの出演で行っていた頃の実行委員長を務める。たくさんの問題を抱えて奔走した。現在代表理事。
司会:櫨本稲子・・飯能市で一市民として様々な活動をしている。SANEの良き友人。今回は、一
                         観客としてわからないことを質問する形で進める。 

司会: 本日はお忙しい中、皆様にお集まりいただきましてありがとうございます。
     SANEのコンサートの歩みと私たちの思い」ということで、ここにいらっしゃるお三方に自己紹
    介を兼ねて、一言ずつおっしゃっていただきたいと思います。まずは杉田さんからお願いします。

杉田: 杉田です。私の場合はとにかくSANEとの最初のかかわりがコンサートでしたね。佐々木玲子さんが、今回20周年記念誌に書いてくれたのを読んで知ったのですが、私が最初に何を言ったかというと「皆さんにお礼状を出しましょう」だったらしいです。それまで、SANEはそういうことは全然していないし、来る人が来ればいい・・みたいなコンサートでした。「それでは好くないのではないか」と言ったのが私だったらしいです。だから、コンサートの実行委員長なども何回かやらせてもらったように思います。で、コンサートが終わると、私は荒れに荒れていました。「こんなこと、もーっ、絶対やりたくない!」という感じでしたね。でも、よくある話ですね。大きいコンサートをやって疲れ果てて「もう~やめよう!」。だけど、このコンサートは毎年やることになりましたね。

司会: 何回になったのですか。

東城: 23回目です。市民会館を借りては2回目が「ノラさん」が来てくれた時が20回だったんです。その後、木下さん、シサイ、木下さん・・来年で24回です。
小さいコンサートを入れたら、僕が関係してから平均年2回やっています。

杉田: そうですよねぇ・・。毎年、市民会館のあの1000人のホールを・・。何年か前に「こんなの信じられない!」って言われたんですよ。何が信じられないって、コンサートをやって、資金を作って、エクアドルを助けましょう、事業をやりましょう、ということ・・が、です。コンサートをやらなきゃ事業ができないということです。「そうことを誰が決めたんですか!恐ろしいことを決めましたね」って言われて、「ホントだよねぇ・・」という感じがしましたね。私が初めてコンサートに行ったのは91年くらいだったと思います。

東城: 大ホールを使ったのは21回目のシサイまでした。その後、木下さんにお願いした22回目、そこから小ホールに変えました。それがまだ続いている・・。

司会: ちょうどその転換期に当たったと思われる木下さん、お願いします。

木下: はい、ペペと知り合ったのが、パンフレットなどからみると98年くらいですね。小さなコンサートも含めて、いくつかやらせていただきました。ペペとは長いですが、密な付き合いではなく、突然連絡がある・・というような付き合いです。

個人的いえば、ただ単にぺぺを友達として付き合うのであれば、多分、今までつきあっていなかったと思うんです。ご承知のとおり、ペペはマイペースなので、振り回されるんです。でも、いつも思うのはペペの「志」ですよね。いろいろなところに迷惑を撒き散らしながらも、やっている目的は、なかなか真似の出来ることではないです。将来、未来に向けて絶対必要なこと《教育》だと思います。彼の始めた「志」がこれだけの大きな輪になったことに対して、僕自身学ぶことが多いし、僕に出来ることがあれば、ペペとケンカしてでもやろう!と・・(笑い)。そういう気持ちは未だに揺らいでいないですね。

杉田: いろいろ思い出しますね。

木下: 僕は向こう(ボリビア)に長く住んでいたので、エクアドル人はボリビア人と違うとはいえ、向こうの人達の考え方も分かるし、向こうの音楽業界、どういう人達がどういう風にして音楽に携わっているのか、ある程度わかるので、ペペのスタンス(立場)で音楽をどう思っているのか、それをどういう風にしたいのか、間違っていること、誤解しているところもわかる。ぺぺのいうエクアドルを紹介したい、それによってエクアドルの人を助けたい・・という良い部分と矛盾点もある程度わかる。だから、コンサートを作っていく段階で口論にまではならないにしても、彼の意見をそのまま受け入れる訳にはいかない。今まで、割と厳しくズバズバとぺぺに言って来ましたね。

杉田: ペペさんは木下さんをすごく信頼していましたよね。ですから、コンサートをするなら木下さんとやりたい・・といつも言っていました。

木下: そうですか。意見の相違はあるにしても、やっぱりコンサートは楽しいですね。

杉田: 木下さんご自身も、この10年変わられましたね。

木下: はい、すごく変わりましたよ。

杉田: そうですね。最初のころは、「芸術家」という感じでピリッとしていて恐かったです。今は随分丸くなりましたね。

木下: そうですね。音楽はこうあるべきだ!という思いが強かったですね。自分はボリビア、アンデスの音楽を背負っているつもりだったので、絶対に正しく日本に知らしめたい!間違いは行かん!と思っていたんです。もうひとつは、音楽に上流、中流、下流があるとすれば、上流に引き上げることが音楽にとっていいことだと思っていましたから、それに全力を傾けていました。

     その後、年齢的なものも含めて、いろいろな経緯、経験を経て、特に最近では音楽の本来の姿は、無名性にあると・・。高い低いなど人間界のことです。しいて言うならば文化、文化と人の関係、文化ってなんだろう、音楽ってなんだろう・・。先ほど、オフレコで話したのですが、僕が農業をはじめたのも、興味ということもありますが、音楽家として体験してみたい・・そういうことを体験していくと、音楽ももっと柔軟な方向へ、皆がそれぞれ勝手に携わりながら、形を変えながら浮遊している状態がいいのではないか・・ということを、最近すごく思うようになりましたね。なんだか取りとめもない表現になりましたが・・。

東城: 木下さんの歌を聞かせていただいて、最近、特に感じるのですが、ラテン音楽ってなんだろうと思うんです。垣根を取り払って、人々の暮らしとか生活に生きるとか、そういうものを歌で表現する。そういうことに「ラテン」を感じます。ちょっと話しは逸れますが、そういう音楽を幅広く柔軟に表現できるとしたら、大ホールは無理なのです。大ホールはインパクトがないと人を呼べないし集まらないからです。その点、小ホールですと、そういう音楽が好きな人集まるのです。そして、僕はコンサートを作る楽しみがまた増えたという訳です。いろいろな可能性が広がってきましたから。

     コンサートがちゃんと成立するし、いろいろなジャンルのコンサートも出来ます。

杉田: 大ホールでやっていた時は、音楽的なことは別として、SANEを知らせなくちゃいけない!資金を作らなくちゃいけない!ということがメインでした。
        それはSANEの組織的な面でみれば、それはそれで意味があったことかなぁ・・とは思います
        小ホールだとそれほど苦労しなくても出来ちゃう・・。だけど、その分「広がり」ということを考える
        とどうだろうか・・と思うこともあります。

東城: それはありますね。特に、飯能周辺の方々は、SANEは毎年大ホールでコンサートをしていた・・という印象が強いでしょうね。ただ、収益性でみるならば、さほど変わりませんね。チラシなど支出も大きかったですから。
         それがなくなり、経費がかからなくなりました。

木下: 当初、コンサートをやらせていただく時、ミーティングで集客人数の話が出ました。その時、大ホールは1102名収容できるのに、どなたかが「がんばって500名集めよう」と言ったので、僕は「異議申し立て」をしたのを覚えていらっしゃいますか。

杉田: はい、非常によ~く覚えています。

木下: コンサートをやるからには、大ホールを使うからには、目標はあくまでも満席にしていただきたい!最初から目標を半分に設定するのはいかがなものかと・・申し上げたことがあるのですが・・。
         もうひとつ、その時に申し上げたことは、ただ単にお客さんを呼ぶのであれば、有名人を連れ
        てきて、確か、「落語でもお笑いでも」と言った記憶があるのですが・・それで収益を得て、エク
        アドルにお金を送る考えはありますか?と聞いたら、西脇さんから「そういう気持ちは全くありま
        せん!」とお答えいただきました。それが、自分のできることはできる限りさせていただこう・・と
        思った大きな理由です。

東城: そうですね。収益性のみ追求すると、つい、そういった考えに行ってしまいますね。
     お客さんを集めるにはどうしたらいいか・・ばかり考えてしまいます。

司会: 音楽を聴いてもらうのか収益性をあげたいのか、その狭間で葛藤がありますね。
     SANEの人、コンサートを作る人、出演してくださる人、三者三様のお話が聞けてとても興味深
        いです。
        大ホール、小ホール、それぞれのコンサートにまつわる苦労話はありますか。

東城: 大ホールでの苦労は、①出演者を選ぶ、②チケットを売る・・。本当にチケットを売るのは大変な苦労です。(一同、深いため息)

木下: コンサートで何が大変かって、チケットを売ることなのですよ。チケットをうまく売ることが出来れば、なんだって出来るんです。どんな小さなコンサートでもチケットを売ることが一番の苦労です。ですから、自主コンサートをしている音楽家と、していない音楽家では、その苦労を知らない・・ということに尽きます。(一同、大きくうなずく)僕のような無名な音楽家のコンサートには、お客様に丁寧に頭を下げないと来ていただけないのです。でも、大手の場合は、新聞広告やTVとタイアップしてお客様を集めるわけです。

東城: 私がまだ責任者じゃなく実行委員だった時に木下さんがおっしゃったことは「私は演奏に責任を持ちます。あなた達はチケット売ることに責任を持ってください」ということです。

杉田: そうです。その時の話は、私もよ~く覚えています。で、肩にズシーンときました。

司会: 先ほどの話ですが、500枚売ればいいというのは責任を持っていないと言うことですね。気合が足りないと言うことですか。

木下: はい、当時の僕のような血の気の多い者に言わせたら・・。(爆笑)

杉田: ありがたいことにそうおっしゃってくださる出演者は珍しいですね。(爆笑)出演者ってギャラをもらえればいい・・が普通なのですけど、そこまでおっしゃる木下さんはすごい!(爆笑)
     あの時のコンサートは、今もう一度やったら、もっといいじゃないかと思うんです。
     子どもたち、お祭り保存の会の人たちが出て、飯能市民と一緒に何かをするという姿勢があり
         ました。

木下: 僕もそう思いました。ですから、ミーティングでSANEの活動は飯能市で知られていますか?とお聞きしたと思います。残念ながら知る人はあまりいないので、お客様はわざわざ遠いところから来てくださることが多い、とのことでした。もっと、飯能でSANEの活動を知ってもらえるよう、お祭囃子の人達と競演することにしました。そして、子どもたちのためのコンサートなので飯能の子どもたちにも参加してもらえれば、子どもたちやその親達にも知ってもらえるわけです。

杉田: そうでしたね。でも、あまり大成功とは言えませんでした。コンサート自体はよかったのですが、出演してくれた人達の理解があまりなかったんです。それはSANE側が、きちんと説明できなかったからです。何のために、私たちがどのようなことをしているのか、このコンサートがどういうものなのか、をきちんと説明するべきだったのです。それをチャリティーコンサートだから分かるだろう、と向こうから近づいてくるのを待っていた・・という感じでしたね。

司会: そうですか。当時はチャリティに対しての環境も今とは違っていたと思います。

杉田: そうですね。時期早尚だったかもしれません。

東城: あの時は高度成長真っ只中で、チャリティだと人が集まるという側面もありましたね。そこにSANEも甘えていたと思うんです。
     それでも、結構収益性はあった・・。お客さんがいなかったのに・・。
    ペペさんが必死でチケットを売ったと思うんです。

     その時から、お客さんにお金を払ってきていただく。例え、それがチャリティだとしても、印象に残るコンサート、楽しんで帰っていただくというコンサートにするにはどうしたらいいか考えるようになりましたね。そういう意味でSANEコンサートも主催者側として、少しは質が上がったと思います。

杉田: 最初の頃は「エクアドルの子どものために」ということも言いたくないということもあったんです。ですから、それはパンフレットに小さくしか書かれていなかった。
その後、きちんと説明しよう・・ということになりました。ですが、バランスが大切で「チャリティだから来て」ではいけないし・・。
     東城さんとSANEコンサートは赤い糸で結ばれていると思いますよ。ここに東城さんが居ること事態が奇跡だと思っているんです。音楽にしっかりと視点を持った人がコンサートを担当しているので、SANEコンサートはここまで続いているんだと思います。

東城: 私は理事でもあるのですが、どちらかというとコンサートの方が自分の仕事だと思っています。元を正せば、現在、私は仕事でフルートを作っていますが、音楽学校に通っていたことがあります。が、才能がない自分に嫌気がさして止めました。その時にやりたかった仕事がコンサートを作ることでした。根っから、コンサート作りが好きなのです。

杉田: そういう人がここにちゃんといる・・という事がすごいですよね。
     辻褄がうまくあっている・・とでもいいましょうか。
小ホールになってから楽になりましたか、何か変わりましたか。

東城: 先ほど言いましたように、選択肢が広がりました。
     それと300席を埋めるためのことだけを考えると、きつくなくなりました。
     1000席を埋めるって本当に大変なことです。そして、埋まらなかったときの落胆はとても大きいです。

杉田: 500人しか集まらないとガッカリしていたのですが、小ホールで300人集まってくれたら「やった~!」という気持ちになるくらいです。

東城: 小ホールで開催したコンサートは大ホールでの雰囲気が全然ちがいます。
     まとまり感、連帯感は小ホールの場合、とてもいい感じです。
     ほんのりと嬉しくなり、主催者冥利につきます。

司会: 演奏する方は、やはり大ホール、小ホールで何か違いはありますか。

木下: 大ホールで出来ることと小ホールで出来ること、やりたいことは違いますね。
     大ホールは舞台が広い、広いから出来ることも沢山ありますが、大掛かりにしないと2時間を持たせるのがつらい・・など。小ホールだと制約がありますが、逆に制約の中で出来ることを考える面白さもあります。大ホールだといろいろなお金がかかります。お客様をお呼びするにしても半ば強引に呼ばなくちゃいけない。それはオフレコで話した大規模農業の話ですが、売り方は正しいかもしれませんが、アメリカ的資本主義でお客様を呼んで、舞台を作り上げないと成り立ちません。エクアドルやボリビアの子どもたちは、ある意味、そういうシステムの被害者だと思います。その被害者を救済するためにそういうシステムを使ってコンサートをすることは大きな矛盾です。ですから、自分の出来る範囲内で親身に出来ることをする。それを皆で手をつなぎ、輪を広げ、無理をせず出来ることからする。その方が確実に広がると思っています。最近はそのように思うので、僕の活動は小さなコンサートを沢山やりたいと思っています。

東城: 大ホールで活動する人は確かにそういう傾向にありますね。

     SANEのコンサートは、来てくれた人と近くなって、SANEの活動を知ってもらって、楽しんで帰っていただき、輪を広げてもらう。小さなコンサートを沢山したほうが今のSANEに効果的だと思います。

杉田: なるほどね。若い理事の森田さんと、先日会いましたら、彼は「国際協力の限界を感じる」とのことで、どういう点が問題なのか聞いてみました。「国際協力することに馴れてきて、援助する人と、される人の関係が変わらないと思った」とのことです。例として、カレンダーを売ることとします。現地の状況の写真をのせ、一冊いくらと決めて売る。すると収益金はいくら・・となり、味気ないものです。SANEの活動はどうか。派手ではありませんが、毎月毎月手紙を書いて交流したり、とても効率は悪そうです。この間、あるマドリーナが手紙の内容も発展しないし、もっと困っている団体を助けたい(UNICEFや国境なき医師団など)のでSANEを退会したいという申し出がありました。ところが、奨学生とこの方の手紙の翻訳担当の方から、この方宛の奨学生からの最後の手紙を見せてもらったところ、つまらない内容どころか奨学生が初めて心を開く内容だったのとことでした。結局、その方はその後も退会せず、その子と文通を続けています。その時、こういうのがSANEなんだ!と思いました。派手なことはなく、このお金で何人の子どもが助かります・・というものでもないのですが、文通をすることによりお互いの心が少しずつ開き、信頼関係ができるという経験は、他では中々できないのではないかと・・。それがコンサートのやり方などに通じるものがあるように思います。

司会: 心のこもったものにもう一度戻したい、つながる感じを大事にする・・ということ
でしょうか。

木下: 手段というより目的でありたいと思いますよね。
     助けるとか援助するとかいうよりも、お互い死なないことだと思います。
     「集う」とか「コンサートをする」ことを目的ととらえ、その一つに収益金がある。それによって演奏家も幸せ、来てくれた人も幸せ、スタッフも幸せ。その幸せなことでエクアドルの子どもたちも幸せになると思います。

東城: 確かにそうですね。最初のころは収益金ばかり考えてやっていました。ですが、最近は僕自身、このコンサートを通してどうやって楽しむか、来てくれる人や演奏してくれる人達にどうやって気持ちよく帰っていただくか・・を考えるようになりました。これが達成できた時は、「成功だった!」と感じます。

杉田: 終わったときに「また、やろうかな」と思えることが大事ですね。
     荒れ狂うようではだめです。

木下: その気持ちわかりますよ。はっきり言って、素人があの入場料で1000人のコンサートを毎年開催すること自体、信じられないことです。

司会: 今後のコンサートの予定はどのようになっていますか。

東城: 面白い、意味のあるコンサートを続けていきたいと思います。
     テーマを設ける、何か主張するもの、そしてなんらかの形でラテンにつながるようにしたいです。SANEのコンサートに来てくれる人は、どこかでラテンにつながっている人が多いですから。そこを離れると今までの経験から失敗になることが多い。いろいろやりたいことは沢山あります。千倉でコンサートをしたり・・。

司会; 田んぼでしたり・・。

東城: 棚田などで・・パーっ!とやりたいですね。

木下: コンサートの入場料はやはり安いほうがいいですよ。
     日本は高すぎます。音楽家は、まあ、生きていければいいわけです。暴利をむさぼる職業で
    はないはずなのです。皆が満足できる入場料でどこにも無理がいかない入場料を考えると、
    やはり安いほうがお客様も来やすいし、スタッフも売りやすい。僕はそれが理想だと思ってい
    ます。

杉田: 会場など制約が多すぎますよね。何時まで退場とか・・一分でも遅れると割り増し料金が取られ、苦労しました。

木下: そういえば、アンコールの時間がなくなったのですね。
あれ?僕は今まで余裕でアンコールをやっていましたが・・?? そっか!僕が終了時間を守らなかった訳ですね。大変申し訳ありませんでした。(大爆笑)

杉田: 具体的ではないのですが、もう一度、99年にしたコンサートのようなものをしてみたいと思います。飯能市の中で飯能市の人が参加するコンサートができればいいなと・・。やろうと思ったらできるのではないでしょうか。市民活動ネットワークを立ち上げ、飯能市の中にSANEの存在が認められるようになってきているので、実質的に何かできそうな時期に来ている。

東城: そうですね。今の飯能市内でできる範囲のことを考えていけば、できると思います。

杉田: たとえば、自然保護の「てんたの会」と何か一緒にやりましょう・・と声をかければできるかな・・。あの時のコンサートに使われた「飯能の自然」のスライドととても合うような気がしますが・。

司会: バックにスライドとして流れているだけでもインパクトがありますよね。

東城: 僕が思っていたのは、木下さんや杉田さんがエクアドルやボリビアで撮ってきた写真をみせたりするのもいいかと・・。
この辺も最近は、小さなコンサートをする場所が増えてきました。
     いつも通りがてら「ここでどんなコンサートができるかなぁ」って考えるんです。

木下: 舞台に上がる演奏家もチャリティに賛同かどうかよりも、同じ方向をむいているかが大切ですね。音楽家が同じ方向を向いて一緒に音を出さないとちゃんとした音がでないんです。当初は、僕もフォルクローレの人達もあまり知りませんでしたが、今は、ジャンルも幅広く、音楽家として成り立っている人達との横のつながりが出来てきています。ですから、出来る事の幅がすごく広がっていると思います。

杉田: 演奏する人、企画する人、観客で来る人と皆がつながって、同じ方向を目指す・・すごい素敵なことですね。

東城: ほんとですね。主催する側、演奏してくれる人、特に演奏家の人達がその時だけの雇われ仕事として集めたコンサートと、皆が一緒の方向を見て集まってくれたコンサートでは全然違いますからね。そういうことは僕達にも影響してきますし、歌にも・・然りです。

木下: そうです。(一同:うんうん、とうなずく)

杉田: そういうのもSANEらしさ・・という感じがします。(全員:はい!)
     とてもいい結論が出ましたね。

東城: これからのコンサートもなんだかイメージが湧いてきました。

司会: いい気持ちになったところで、ちょうどお時間となりました。
本日はとても有意義な座談会となりました。 木下さん、皆さん、ありがとうございました。