2014年3月25日火曜日

サンパブロウルコを訪ねて ー弱体化する地域の教育力

サンパブロウルコは、カヤンベの山岳地域オルメド教区にある村です。道は良くなったものの、カヤンベ中心地からバスで1時間ほどオルメドまで行き、そこから歩いて山道を登ったところにあります。ここは先住民の割合の高い村で、独自の文化を持っています。女性たちの服装も多くが民族衣装です。
この村は人々の結束が強く、住民のの努力で長年かけて1年生(日本で言えば保育園年長組)から10年生(中学3年生)までの学年をそろえた学校を作ってきました。現在子どもの数は127人です。ここで働く先生も、地域の人を雇うように働きかけてきました。その結果、昨年までは教師の数も13人で、充実した教育を行っていました。SANE/SOJAEはこの学校の施設支援、学校菜園、技術教育などの事業を長年行い、人々の努力の後押しをしています。

ところが今年になって、新しい教育法とそれに伴う規則が施行され、教師の数が全校の生徒数で決まるようになりました。その結果子どもの数は減っていないのに今年度は教師の数が8人に減少。2学年を1人の教師が持つことになってしまいました。来年はさらに6人に減ることが決まっています。ちなみに、日本では2つの学年の子どもの合計が16人以下(1年生を含む場合は1年生だけで8人)になると複式学級になるというのが標準とされており、都道府県で最終的に決定することになっています。

前回にも報告したとおり、教師は正採用と臨時採用の二つの雇用形態になっており、臨時採用の教師はいつ首になるかわかりません。また、以前は保護者が必要とする場合、保護者の出資で講師を雇うことができたのですが、今は禁止されています。

さらに、政府は幼児教育制度も大きく変えました。以前はINFAという半官半民の形で機能していた機関が福祉と乳幼児保育を担当していました。しかし政府はINFAを閉鎖し、乳幼児保育も中央の省の直轄にしました。その結果、0歳から3歳未満と3歳以上就学までとが異なる省の担当になり、3歳以上は教育省担当で学校の中に吸収される形になりました。そして、3歳未満児はその地域で定数に達しない場合は保育園は設置されません。サンパブロウルコでは、3歳未満児が定数に達していなかったため、保育施設が閉鎖され結局家庭に任される形に。共働きの家庭ではこれが大変な問題になっています。一方でそれまで機能していた保育園は建物だけを残して今では使われずに放置されているのです。

サンパブロウルコの学校で幼児組を持っている先生は、自分自身も1歳半の子どもを持っています。彼女は自分の子どもも含めて困っている3歳未満の子どもを同じ部屋で預っています。子どもたちの登校時刻は午前8時。学校が終わるのは午後2時です。この間、政府から保証されている食事はシリアルバーとコラーダという甘い飲み物だけ。しかも3歳未満には何もありません。子どもたちはお腹をすかせて泣くこともあると言います。

この話を聞いた杉田はすぐにヘルマンと話し合い、問題の対処に学校や保護者が取り組むよう働きかけました。急激な変化と、教員の組織が切り崩される中で、サンパブロウルコのような結束の強かった地域でさえ問題に十分対処できていないのです。ヘルマンはすぐに保護者が毎月5ドルずつ出して子どもたちに食事のできる体制を作ることを提案。SOJAEも毎月5ドル出して協力すると約束をしました。学校でミンガ(協働作業)を行っていたお母さんたちはその場で承諾しました。今後の動きが注目されます。

すでに出張報告でお伝えしたとおり、サンパブロウルコから1時間ほど行ったところにペシージョという村があり、ここではミレニオ学校が建設中です。政府の方針は周りの学校を閉鎖してこの学校に統合するというもの。けれども、遠い子の場合2時間以上通学にかかってしまいます。サンパブロウルコの保護者たちはこの村の学校を閉鎖しないように陳情に行きました。けれども上記のように年々厳しくなっている状況ではいつ閉鎖になってしまうかわかりません。保護者の代表のお母さんたちはこう言いました。
『まるで昔に戻ってしまったようだ。昔、学校がここにできる前には、一部の人だけがペシージョの学校に通うことができた。その後みんなで努力してこの学校を作ってきたのに…』

SANEは『学校菜園を通じた食の安全保障』という事業を行ってきましたが、今改めて学校と保育をめぐる、子どもたちの教育の保障とと食の安全保障について緊急に取り組む必要を感じました。ヘルマンはさっそくカヤンベ市民に呼び掛けて、現状調査と子どもの権利保障のための行動を開始すると言っています。



2014年3月23日日曜日

コタカチ、イマンタグのミレニオ学校へ

3月17日にコタカチ市中心地から7kmほど離れた村イマンタグにあるミレニオ学校に行ってきました。ここは2011年に開設された学校です。周辺には先生が1人の小さな小学校があったのですが、それが統合され今は幼児から高校生まで750人の生徒を抱える学校となり、コタカチ市からも生徒が来ています。
政府は無料のスクールバスを出すと言っていますが、まだ実現されてはおらず、子どもたちは徒歩か普通のバス(有料)に乗って登校しています。校舎はとても立派で、中では先生方が1人1台のパソコンを見ながら会議をしていました。突然の訪問だったにもかかわらず、副校長先生が丁寧に対応して下さいました。
小さな学校からミレニオ学校になって、良い教育が受けられるようになったと副校長先生は語ります。ここでは47人の先生が仕事をしています。ところが、良く聞いてみると採用試験を経て正式雇用されている教師はなんと4人だけ。後は準備過程の教員だということでした。この教員は地方ではどこの学校でもいるのですが、いわゆる臨時採用、あるいは1年雇用の先生方です。不安定な上に給与も低い、あまり良くない条件で仕事をしています。このような大きな学校でそういう状況とは驚くばかりでした。まだ発展過程にあるので、とは副校長先生の言葉ですが、開校から3年以上たっています。制度改革の急激さと比較して、中身の改革の遅さが懸念されます。
教室の椅子は現代的なデザインですがなんだか窮屈そう。生徒はいなかったので意見は聞けませんでしたが。
この学校には立派な食堂がありますが、倉庫は空っぽでした。政府からの朝食(シリアルバーとコラーダという甘い飲み物)が届くのを待っているとのこと。子どもたちはどうしているのかと見ると、それぞれ家から食べるものを持ってきたり、バール(食べ物を売っているお店ーたいていの学校にはあります。barといっても日本のバーとは違いますね)で買ったりしています。
政府は制服も無料支給していると言いますが、実際は予算が決まっていて、特に女の子の制服をそれでカバーすることはできません。家庭では制服にかかる費用も必要になります。そのせいか、ここでは右の写真のとおり、下に民族衣装を着ています(これはオタバロの衣装です)。民族衣装はここの人々にとっては自分の出自を表す大切なもの。これが制服にとって代わるということは、文化を失うことにつながりかねません。今は民族衣装より制服を好む傾向も出てきているそうです。でも、ここではこうして民族衣装が制服と共に生きていました。
食堂で働いている女性に話を聞くと、この地域にはまだまだひどい貧困があるとのこと。家で食事を満足に食べられない子どもたち、両親を失って子どもたちだけで生きているというケースもあると言います。政府からのシリアルバーだけでは子どもたちは飢えてしまいます。食堂で働くのは二人ですが、彼女たちが生徒に呼びかけてそれぞれの家から食材を持ってきてもらい、週に1回は持って来られない子どもも含めてみんなに食事を提供するよう努力しているそうです。

大切なのは容れものではなくて、人だと痛感した訪問でした。この学校には菜園にできる土地がありました。ヘルマンはここの750人の子どもたちのために、学校菜園を始めたいと意欲を持って語ります。今回多くの学校で、お腹をすかせている子どもたちに出会いました。地域の人々がこの事実をしっかり受け止めて解決に向けて動き出すこと、そして学校菜園事業で食事改善を図ることは重要です。次回はカヤンベの事情を報告します。




2014年3月17日月曜日

奨学生と日本の高校生がカヤンベ登山

私(杉田)のエクアドル滞在中にエクアドルを訪問している、高校生3人がカヤンベ山の登山に挑戦しました。3人は自由の森学園高校の2年生と3年生。先週の金曜日から、スペイン語の授業を通じて文通をしてきた奨学生の家に滞在しています。

一緒に行ったのは、2人の奨学生の他に卒業生のアンドレアと彼女の妹、やはり卒業生のサンディです。山をよく知っているヘルマンの案内で山登りにも挑戦しました。今は雨季で、毎日一度は雨が降っていますが、一行が登山をしているときには太陽が顔を出し、カヤンベ山頂もきれいに見えました。また、大空をコンドルが悠々と飛んでいる姿も見られ、一同大感激でした。

カヤンベ中心地から車で約1時間、ガタガタ道を上がって登山道に入る手前に学校が2校あります。SANE/SOJAEが学校菜園事業を行っているエル・アトの学校と、オルランドペロン校です。
この日は日曜日でしたが、学校にキリスト教の講座を受けに行く子どもたちに途中で出会い、一行のトラックの荷台に乗せました。普段から1時間以上の道を学校に通っている子どもたちもたくさんいます。村の小さな学校がなくなると大変なことになります。トラックを降りて元気に学校に行く子どもたちを見送りながら、ぜひ学校を残してほしいと思いました。写真は高校生と一緒に荷台に乗る地元の子どもたちです。

日本の高校生たちを受け入れ、このような滞在を可能にしてくれたのは、SOJAEカヤンベ支部のスタッフのおかげです。日本とエクアドルのつながりが広がって行くといいですね。


2014年3月14日金曜日

後輩を支える卒業生ー大学入試制度の中で

マイラはキト南部に住む元奨学生。2012年に高校を卒業しました。キトは大変坂が多いのですが、彼女の住むところは目もくらむような階段を下りていったところにあります(写真右)。彼女の家から先もさらに下りの坂になっていて、川が流れています。

マイラの家族はお母さんと娘二人。お母さんは他の家の洗濯をして家計を支えています。マイラは医学部の看護科に進みたいという希望を持っていますが、2012年に初めて統一試験を受けた時は700点台しか取れませんでした。医療系は900点以上取らないと進めません。2度目も少し点数は上がったものの、900点には遠く及びませんでした。そこでマイラは、予備校に通うことに決めました。統一入試で良い結果を出すには高校で教わっただけでは足りないのです。お金を持っている人はみんな予備校に通っています。コースによっても価格は色々ですが、それは高額で100ドル以上かかります。
彼女の取ったコースは3か月で450ドル。この価格はエクアドルの最低賃金よりも高いもので、彼女の家族にとっては大変な負担です。お母さんは娘のために普段以上に働き、借金もしてこのお金を作ったと言います。
たとえ大変でも娘の希望をかなえたいというのがお母さんの思いです。そのおかげで今回は見事に900点以上を取り、中央大学の医学部に無事入学が決まりました。看護を勉強する予定で、4月から授業が始まります。

SOJAEの奨学生の中にも高校3年生がいますが、彼らも今月末に受験します。マイラは自分が合格した後、ずっとその後輩たちのために補習を行っています。毎週決まった時刻にSOJAEの事務所にやってきて、教えているのです。そのおかげで予備校に行かないですんでいる奨学生もいます。

SOJAEの奨学生、卒業生たちはこのように助け合って自分たちの進路を切り開いているのです。けれども、そういった支えがなく、大学への夢を実現できない青年たちも実はたくさんいます。通常の高校の課程で太刀打ちできないような入試制度のあり方も問われています。

2014年3月13日木曜日

貧困はもうなくなったのか?                      ーキトの奨学生の家庭を訪問して

マリソルはキト市南端に住む奨学生です。
右の写真は彼女の住む地域。この道の奥に入って行くと彼女の家があります。高校までバスで1時間余り、SOJAEの事務所までは2時間かかります。いまだに水道の設備は整っていません。今年つくと良いのだけれど、とお母さん。コトパクシ県から18年前に家族みんなで引っ越してきました。コトパクシでは生きていくために充分な仕事はなかったと言います。

マリソルはお母さん、弟、妹の4人で暮らしています。下の写真の一番左がマリソルです。一番右は近くに住んでいるおじいちゃんです。彼女の生活は朝5時から始まります。家から少し離れた山に登ったところで牛を飼っているのですが、マリソルはその世話を毎朝しているのです。
10時半には早い昼食をとり、12時25分に始まる授業に間に合うように11時には家を出ます。授業は午後6時半まで続き、学校から帰ってくるのは午後8時になってしまいます。お母さんは裏の畑でトウモロコシなどを栽培し、街頭でそのトウモロコシで作ったエンパナーダを売り家計を支えています。

マリソルは、時間を見つけて学校が始まる前にSOJAEの事務所に行き、パソコンを使って宿題をすませます。学校には生徒が使える充分なパソコンはありません。事務所は通常午後しか開いていないのですが、彼女が入れるように、鍵を預けてあります。

彼女が奨学生になったのは、学校の先生の紹介がきっかけでした。彼女が貧しい生活の中でも、一生懸命に勉強に取り組んでいるのを見て、先生がSOJAEを紹介してくれました。エクアドルでは生徒の生活に気を配るのはその仕事を専門にしている教師(カウンセラー)です。SOJAEは各学校の担当教師と連絡を取り合って、助けを必要としている生徒の情報を得ています。評判を聞いて保護者が直接事務所を訪ねてくることもあります。

彼女はがんばりや。10点満点の9.08という高い成績です。そんな彼女が勉強を継続できるようお母さんも懸命に働いて応援しています。
SOJAEは奨学生に月30ドルの奨学金を渡していますが、彼女にとってこの奨学金は大切なものだと言います。一緒に訪問したボランティアスタッフのセシリアによると、マリソルは、毎日の交通費や、学校で必要な経費などに、とても上手に奨学金を活かしているそうです。
最初はとても恥ずかしがり屋だった彼女は、SOJAEで行っているチャルラ(奨学生を対象にした講座。毎月行われる。)によって自己表現ができるようになりました。SOJAEに来るのはとても楽しいと言っています。
そんな彼女は、友達からも信頼されるようになり、今年は生徒会長選挙に出ました。これは、クラスで誰が候補としてふさわしいのか話し合って決まったそうです。候補者はそれぞれ公約を発表しなくてはいけません。選挙運動も活発に行います。マリソルもインドアサッカーの校内の大会を行うなどの公約を掲げて闘ったそうですが、6票差で負けてしまいました。こういった活動で生徒たちは自主的な活動を学んでいます。

今回の訪問では、お母さんは私たちを大変歓迎してくれて、右の写真のような食事を用意してくれました。クイです。クイはハムスターのような動物で、田舎ではよく家で飼って食用にしています。けれども、まさかキトでお目にかかるとは思ってもいませんでした。キトの広さを感じました。というよりも、今もキトは田舎から移り住んでくる人々でどんどん南北に広がっているのです。
家の裏ではトウモロコシが育っていました。写真のお母さんの後ろの小屋にはクイがいます。

エクアドルではもう貧困がなくなったのでは、とか、学校が無償になったので支援は必要なくなったのでは、といった声がありますが、現実はそんなものではありません。月にたった30ドルの奨学金ですが、奨学生にとってはとても大切なものです。

SOJAEで得られた仲間やスタッフの支援を支えに毎日を一生懸命生きている子どもたち、そして家族の姿に出会えてうれしく思いました。

2014年3月9日日曜日

揺れる地域  -ミレニオ学校の建設

3月5日に、カヤンベ郡のオルメド教区、ペシージョに建設中の、ミレニオ学校に行ってきました。ミレニオ学校はこのブログでもご紹介したことがありますが、政府の教育改革の重要な柱である、質の良い教育を提供するという目的で、建設されている大規模校(ペシージョに予定されているのは500人規模)のことです。これまでの村の小規模校は廃校にして統合することによって質を向上させたいというのが政府の方針です。
ペシージョに向かう道で、ピエモンテという小さな村の学校の先生に会いました。彼が勤めている村の学校は、今年度で廃校になることが決まっています。子どもたちは、それぞれ住むところによって別の学校に通わなくてはなりません。遠くの学校に通わなくてはならなくなる子どもたちのことを大変心配していました。
ミレニオ学校はまだできていないにもかかわらず、廃校は進んでいます。チタチャカ村の学校はすでに廃校になってしまいました。これによって別の学校に行くことになった25人の子どもたちのうち10人は遠すぎて通えなくなってしまったと言います。アンチョラ村の学校も同じような状況になっています。

政府の通達によると、学校の統合は5年以内に進めることとなっています。この通達は2013年に効力が出たものですから、2018年までに進めればよいわけです。けれどもカヤンベでは、地域での話し合いを通して、子どもたちが抱えるであろう問題に対して、まずは充分な対処をするというプロセスを経ないで学校統合を進められているのが現状です。2月26日に政府教育省の担当者がカヤンベに来て、地域の代表者や保護者などが集まって会合を開きました。その席で、すべて順調に進んでいるとカヤンベ教育長が報告したことに抗議をして、一人の母親が廃校になったばかりに直面している大変な状況を訴え、会場は騒然としたということでした。

質の良い教育を受けるということを目的としたはずのミレニオ学校の建設ですが、かえって教育を受ける権利を奪う結果となっているという現状が見られます。カヤンベの人々も華やかな宣伝の陰に隠れていた現実に気づき、子どもたちのためにどうすればよいのか考え始めています。

カヤンベではオルメド教区とカンガウア教区にミレニオ学校の建設が計画されています。カンガウアの方はまだ建設は始まっていません。
ペシージョの建設中の学校を訪ねました。この学校は現在の学校のすぐ隣に建設中です。村の人々が雇用されて働いていました。建築士の方に案内をしていただきましたが、すべての学校が同じ規格で作られているそうです。写真は2歳から4歳の子どもの部屋です。2室あって間にシャワー室とトイレがあります。子どもの部屋とは思えないような天井の高い、大きな空間です。寒いのではないかとヘルマンが心配すると、暖房が完備されるから大丈夫だとのことでした。




小学校の教室です。両側に3教室ずつ、1階と2階に計12教室あります。
特別教室は理科室とパソコン室だけです。
トイレはそれぞれ1階と2階に1か所あり、女子用トイレの個室は4室です。一番奥は階段です。その後ろにかなり大きな規模の車いす用のスロープがついています。上はおおわれる予定です。下はやはりカラーブロックで舗装されます。
職員室はかなり離れたところに独立した建物があります。
また食堂も別にあります。
この他に自転車置き場や広い駐車場もあります。

筆者は日本で公立校の教員の経験がありますが、かなり教育の考え方が違うような気がしました。建物をみるとどのような意図で作られたのかが伺えます。子どもの居場所として、今日本では壁をできるだけ作らず、安全を第一に、地域の特徴も活かし、生活の場としても居心地の良い空間をめざしているように思います。図書室や音楽室、体育館、校庭なども考慮して配置されます。教師と子どもが近くにいることも大事な気がします。また、約200人の子どもが2階から下りてくる階段としては狭すぎるし、大丈夫なのか、あるいは500人の子どもたちが食堂でどうやって食事をするのかと心配になりました。
なにか、これまでの村の学校の方が温かさが感じられる気がしたのですが、今後先生方の努力で改善されて行くのでしょうか。

2014年3月6日木曜日

奨学生モニカの家を訪問 ー出張報告②

モニカはカヤンベのコンバレセンシアという村に住む高校3年生です。カヤンベ中心部からカヤンベ山に向かって20分ほど車で登って行くと彼女の家があります。
家族はお母さんと4人の子どもたち。写真の右から2人目がモニカ。その左がお母さんです。お母さんは一人で4人の子どもを育ててきました。前回のカリーナもそうですが、子どもたちはお母さんの苦労をよく理解して、いつも感謝の言葉を口にします。生活が大変なだけに家族のつながりが強いのかもしれません。
彼女も大学入試に向けてがんばっている一人です。統一入試の準備をするために、予備校に通っています。費用は100ドル。これをねん出するために家族そろって内職にも精を出しています。写真は内職のピニャタを見せてくれる二人。ピニャタは誕生日や何かのお祝いなどの時に、飾りに使うものです。色々工夫がしてあり、紐を引っ張ると割れて中からキャンディーが出てきたりします。たくさん作って毎週キトまで売りに行ったりしているそうです。
                                     
政府は学校のレベルを上げるために、条件を満たした高校を国際高校(colegio de bachillerato internacional)の資格を与えるという制度を作りました。モニカの学校はナタリア・ハリン校という伝統的な女子高でしたが、政策によって2年前に共学になり(現在は男女別学は認められていません)、今回はこの国際高校をめざして努力中だそうです。生徒の学力を上げ、そのための試験を受けなくてはなりません。また、教師の研修を進めたり、新しく教室を作るなど学校の設備を改善する必要があります。
こうしたプロジェクトを進めるため、生徒たちはいろいろな機会にサンドイッチなどの食べ物を販売し資金を作っています。高校3年生200人の生徒で21000ドルを提供することが義務になっているからです。保護者も寄付をしないとこの額にはなりません。それでもモニカのお母さんはこういった努力をするこの高校が気にいっています。苦労をしても子どもには高い学力をつけたいという思いが感じられました。それにしても、学費が無料になったとはいえ、まだまだ生徒や保護者の負担が大きいのには驚きです。

2014年3月4日火曜日

変わる大学入試ー出張報告①

エクアドルでは新教育法を施行し、多方面にわたる教育改革を行なっていますが、大学改革と大学入試改革もそのひとつです。
どのような大学入試になっているのか、奨学生担当スタッフで高校教師のダーウィンと元奨学生のカロリーナに聞いてみました。
大学進学の希望を持つ生徒は、まずネット上に自分のアドレスを持たなくてはなりません。その後、入学試験を受けるための申請をして、統一試験(ENES)を受けます。この試験は、100問で構成され、5つの答えから一つを選ぶようになっています。1問10点で、合計1000点満点の試験です。
試験はペーパーですが、成績は各自のアドレスに送られてきます。650点以上をとらなければ大学に入学する資格は得られません。
さらにこの時に、成績によってどの大学のどの学部に入る資格があるのかというリストが送られます。受験生は、このリストを見て第1希望から第5希望までを申請します。各大学の学部にはそれぞれ定員がありますから、希望者のうち成績順で定員内に入ればここで入学資格が与えられます。もしどの希望も満たされない場合は、さらに次の試験を受けなくてはなりません。
資格を得た生徒は、6か月の補習コースに入ることができます。ここで入学のために必要な講座を受け最終的に試験に合格すれば、晴れて希望の学部に入学許可となります。
カロリーナは昨年の卒業生ですが、ENESの結果でイバラの北部技術大学の看護学科に入学する資格を得、6か月の補習コースも無事終了しました。4月から授業が始まります。この大学の補習コースに入ったのは1024人。全員が合格したそうです。看護学科は36人。4年間の履修期間を経て看護師試験を受けて免許が得られます。彼女の希望は助産師になること。その後2年かかります。(写真はカロリーナ。SOJAE事務所にて)

このような大学改革は、すべての大学のレベルを上げ、国際的にも認められるような質の教育を提供するために必要なことだと言われています。また、この試験は来年から全高校3年生に課せられることとなる予定で、これは高校評価にもつながってくるそうです。また、大学で成績の良い学生には外国留学の道も開かれているそうです。

けれども、一方で問題もあります。
統一試験のための予備校ができ、経済的に余裕があって予備校に通える子にとって有利になる現状があります。また、こういう生徒がたくさんいる学校は評価が高くなるわけです。高校ではこの試験に備えた授業を考えなくてはならないでしょう。もちろん、5問から正解を選択する問題だけですべてを決めて良いのかという問題もあります。(しかし、一方で以前の大学がそれぞれ行っていた入試と比較するとずっと良くなったという話もあるのですが。)
また、評価の悪い大学や高校は、これまでも廃校や学部の廃止などが行われました。今後も継続するそうです。廃校になった学校の生徒は改めて試験を受けて他校に入る必要があります。

改革が急激なだけに、生徒への影響は大きく、しっかりと支えていく家族や学校の支援がなければ落ちこぼれていく子どもも出てくるでしょう。慎重に見ていく必要がありそうです。

2014年3月3日月曜日

共感の広がるコンサート

2月23日のコンサートは、多くの来場者をお迎えし、温かい雰囲気で行なわれました。長年のおつきあいの木下さんと菱本さんの演奏に加えて、Yaeさんの歌声が美しく響きました。特に3月11日の震災の日に生まれた赤ちゃんの写真を見ながら聴いた名も知らぬ花のように、には会場のみんなの思いが重なりました。
Yaeさんは昨年11月に生まれたばかりのお子さん連れで飯能までおいでになり、スタッフのみんなと交流。たのしいひと時でした。
世界のみんなとつながる店ふやふやの販売も大変好調で、エクアドルフェアトレードコーヒー、チョコレート、キヌアクッキーやエクアドルバナナケーキなど、ほとんどが完売。スタッフにとってはうれしい驚きでした。
改めて、ご協力いただいたみなさまにお礼申し上げます。